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2018.10.30
世界に誇る「かゆみ」の研究拠点・順天堂大学環境医学研究所。
近年、アトピー性皮膚炎など、従来の治療法が効果を発揮しない難治性のかゆみに悩む患者さんが少なくありません。順天堂大学大学院医学研究科・環境医学研究所長の髙森建二特任教授は、難治性のかゆみのさまざまなメカニズムを解明。創薬へとつながる研究成果を挙げ続け、同研究所は今や世界に誇る「かゆみ」研究の拠点へと飛躍を遂げました。
順天堂大学浦安病院の臨床とともに研究を進める環境医学研究所。
環境医学研究所は順天堂大学医学部附属浦安病院(千葉県浦安市)の最上階にあります。病院内に研究所が併設されたのは2004年。「病院で勤務する医師が自らの研究を進められる場所を、職場のすぐ近くに用意しよう」という当時としては斬新な発想から誕生し、以来、基礎医学と臨床医学が一体となって研究を進めるトランスレーショナルリサーチが推進されています。
本研究所の研究内容はおもに3つ。①環境要因(環境汚染物質)と生体反応、②疾患遺伝子の変異と環境因子、③性差医学と環境因子の3大プロジェクトが進行中です。私のグループは「難治性かゆみの発症メカニズムの解明と予防・治療法の開発」をテーマに研究に取り組み、2013年には文部科学省の「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」にも採択されました。
難治性の「かゆみ」を研究する日本初の「かゆみ研究センター」に。
そもそも「痛み」に比べて「かゆみ」の研究は立ち遅れていました。命を奪われるのは「痛み」であり、それに比べれば「かゆみ」なんてたいしたことはない、という考え方に医学会全体が支配されていたのです。しかし近年、病的なかゆみは痛みと同じくらい、あるいは痛みよりもつらい感覚であることが世界的に理解されるようになり、本研究所も日本初のかゆみ研究センター(Juntendo Itch Research Center)として機能することを国内外から求められるようになりました。 以前よりかゆみを抑える薬として多用されてきたのが抗ヒスタミン薬で、現在も多くのかゆみ治療に使用されています。ところが、アトピー性皮膚炎や腎臓・肝臓疾患、乾皮症、乾癬、痒疹、HIV感染症などのかゆみには、抗ヒスタミン薬が効きません。患者さんはかゆみに悩まされて生活の質を著しく下げているだけでなく、仕事面では集中力や判断力が落ち、勉学意欲や労働生産性も低下しています。
かゆみの原因は「乾燥肌」。
なぜ抗ヒスタミン薬が効かないのか?
実は前述の疾患は、全て乾燥肌に直結しています。健康な肌は角質細胞が隙間なくぴったりとくっつき合って皮膚の表面を覆っています。ところが、乾燥肌になると角質細胞の間に隙間ができ、体内の水分がどんどん失われていきます。同時に外部の異物が肌の奥に入り込み、よくない刺激を体に与えます。(図1)
図1
例えばアトピー性皮膚炎のかゆみも一部は乾燥肌に由来します。アトピー性皮膚炎では衣服が擦れるなど、わずかな刺激でかゆみが起きます。それも強烈なかゆみなので、かかずにはいられません。患部をかき過ぎると健康な人は痛みが出てかくのをやめますが、アトピー性皮膚炎では痛みがさらにかゆみを誘発します。
このつらいかゆみを、どうすれば軽減できるのか。なぜ抗ヒスタミン薬が効かないのか?
私たちは長年このテーマに取り組み、研究を続けました。その結果、抗ヒスタミン薬が効かないかゆみが起きる原因を、4つ突き止めました。4つの中で私がとくに注目したのが、「表皮内神経線維の外部からの直接刺激」によるものです。
耐えがたいかゆみの原因となる表皮内の神経線維に着目。
実は表皮の中にはかゆみを感じる神経線維が存在します。昔は痛みを感じる神経とかゆみを感じる神経は同一のものであり、刺激が弱ければかゆみに、強ければ痛みになると考えられていました。しかし現在では、かゆみは痛みとは別の神経経路を伝わる独立した感覚だと判明してきました。
そこでアトピー性皮膚炎や腎臓透析の患者さんの皮膚を調べたところ、健常者に比べてはるかに多くの神経線維が表皮内に分布していることがわかりました。神経線維がバリアが壊れている角質層直下まで伸びてくると、わずかな刺激でかゆみを感じてしまいます。(図2 -a、図2-b)
神経線維の末端にはかゆみを感じるさまざまなレセプターが存在します。ヒスタミンが結合するレセプターは、神経の末端に数多くあるレセプターのうちのごく一部。ですからヒスタミンのレセプターだけブロックしても、かゆみは止まりません。抗ヒスタミン薬が効かない理由がこれで解明できました。
図2-a
図2-b
効果的な治療法は紫外線療法と保湿剤の塗布。
では、表皮内の神経線維が原因で起きるかゆみには、どのような治療法があるのでしょうか。
とても効果的なのは紫外線療法です。紫外線を肌に照射すると表皮に侵入していた神経線維が後退し、かゆみが軽減することが実証されています。皮膚がんの発症を怖れて紫外線に当たることを嫌がる風潮を時折耳にしますが、日本人の皮膚がん発症率は欧米人に比べると微々たるものです。子どもは太陽の下で元気に遊ぶことが、アトピー性皮膚炎の抑制にもつながります。
保湿剤もぜひ有効活用したいものです。国立成育医療研究センターで行われた研究で、両親あるいは片方の親がアトピー性皮膚炎の新生児を2つのグループに分け、1つのグループには毎日保湿剤を塗り、もう1つのグループには特別なスキンケアを行いませんでした。すると約8か月後、保湿剤を塗ったグループはアトピー性皮膚炎の発症率が約3割低いという結果が出たのです。この研究により、生まれた直後から保湿剤を塗り続けると神経線維が表皮層まで伸長しにくくなり、皮膚のバリア機能が維持され、アトピーになりにくくなることがわかりました。
難治性かゆみのメカニズムを解明し、症状のコントロールを目指す。
さらに今後、新しい治療法として登場しそうなものが、セマフォリン3A合成促進剤です。セマフォリンはたんぱく質の一種で、神経線維の伸長を抑え、退縮させる機能があります。アトピー性皮膚炎の患者さんの皮膚を調べると、健常者に比べてセマフォリン3Aがほとんど発現しておりません。まだ動物実験の段階ですが、セマフォリン3A軟膏を塗布するとアトピー性皮膚炎モデルマウスの症状が改善することが
ほかにも私たちはモルヒネ使用時のかゆみを抑制する薬を開発したり、脊髄グリア細胞とかゆみの関係を調べるなど、さまざまな視点からかゆみの研究を進めています。最終的な目標は薬の開発に結びつけ、患者さんの苦しみを少しでも軽減すること。多種多様なかゆみの起きるメカニズムを解明すれば、治療法やかゆみを抑制する方法を開発でき、いずれは難治性のかゆみもコントロールできるようになるはずです。
一般向けWEBサイトや書籍でかゆみ対策を広くアピール。
私たちは前述のような研究を、文部科学省「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」の助成を受けるなどして続けてきました。同事業では若手研究者を採用したり、研究所内の設備を充実させたほか、学内プロジェクトを公募し、年1回研究報告会も開催しています。
研究成果の学外へのアウトプットにも力を注いでいます。国内の第一線の研究者を招いて年1回の公開シンポジウムを開催。インターナショナル・フォーラムでは世界中から100名近い研究者が集結し、本研究所が日本有数のかゆみ研究の拠点であることが海外でも認知されるきっかけとなりました。
特筆すべきことは、一般の方々への啓蒙活動でしょう。順天堂のWEBサイトに「かゆみと真剣勝負、かゆみの克服を目指して」と題したページを開設。つらいかゆみに悩む方々に向けて、かゆみの原因と対処法をイラスト入りでわかりやすく掲載しています。
また、『世界に「かゆい」がなくなる日』(ナツメ社)という一般向け書籍も刊行。平易な言葉でわかりやすくまとめた書籍ですが、実は最新の研究成果も掲載しており、研究者にも役立つ内容です。
企業との共同研究により「抗加齢皮膚医学研究講座」を開設。
産学連携の共同研究も積極的に推進し、2018年6月より、株式会社ファンケルとの「抗加齢皮膚医学研究講座」をスタートさせました。超高齢社会の日本では、加齢による乾燥肌が生み出すかゆみが高齢者の悩みとなっています。私たちは神経科学や免疫学の視点から加齢に由来する乾燥肌を研究することで、皮膚だけでなく全身の老化の制御も可能になるのではないかと考えています。
共同研究する企業の研究者は、大学の研究者のアドバイスを強く求めておられます。企業内で積み上げてきた研究が臨床でどのように役立つのか、つねに模索しておられるため、私たちは週1回ディスカッションの場を設けて方向性や研究手法を議論しています。
最前線の研究に触れることで、若手研究者の意欲が向上する。
本研究所には大学院修士・博士課程を修了した若手研究者が数多く在籍しており、後進の指導と育成も大切な使命です。
私の育成方針は若いうちから最前線の研究に触れさせること。すると自然に研究意欲が増し、研究者として成長していきます。研究者にとって、自分しか知らない新しい事実を発見することはなによりの喜びです。この快感を一度経験すると、誰しも研究にのめりこんでいくもの。ですから、若手には少しでも早くこの喜びを経験してもらいたいと考えています。
もちろん、研究成果は英語で発表してもらいます。英語で論文を発表することは、世界へ向けて自分の成果を発信することと同義です。世界的な評価もいただけますし、世界中に研究仲間ができることは間違いありません。
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「定説や先入観にとらわれず、新たな視点から難治性かゆみ研究に挑む。」(冨永 光俊 先任准教授)
髙森 建二
順天堂大学大学院医学研究科 環境医学研究所 所長
順天堂大学大学院医学研究科 皮膚科学 特任教授
【経歴】
1967年3月 順天堂大学医学部卒業
1977年9月 米国Duke大学皮膚科 Research Associate
1993年10月 順天堂大学医学部皮膚科・教授
2005年4月 順天堂大学医学部附属浦安病院・院長(2012年3月迄)、学校法人順天堂・理事、同評議員(現在に至る)
2007年4月 順天堂大学・名誉教授
2007年10月 順天堂大学大学院医学研究科皮膚科学・特任教授(現在に至る)
2008年9月 順天堂大学大学院医学研究科環境医学研究所・所長(現在に至る)