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2018.04.01
2015年ラグビーW杯でチームの勝利を支えたスポーツドクター
スポーツドクター順天堂大学スポーツ健康科学部 教授/医学部整形外科学講座 先任准教授高澤祐治先生 2015年ラグビーワールドカップでは日本代表チームに帯同し、スポーツドクターとしてチームの勝利を支えた高澤祐治先生。現在もラグビーのスポーツドクターとして活動するほか、ハンドボールや柔道、相撲など様々な競技のアスリートを医療の現場からサポートしています。2018年4月、新たにスポーツ健康科学部教授(医学部整形外科学講座 先任准教授を併任)に就任された高澤先生に、スポーツドクターとしてのやりがいや困難、これまでの活動などについてお話をうかがいました。
スポーツドクターとしての駆け出し時代
経験を積むために高校の大会に足を運び続けた
スポーツドクターとしての活動の始まりは1997年で、サントリーラグビー部(現:サントリーサンゴリアス)のチームドクターのお誘いをいただいたことがきっかけです。その当時は医師としても、スポーツドクターとしても未熟だったので、高校の大会などにも足を運んで経験を積んでいました。それから20年以上経って、今は様々なカテゴリーの競技やチームのサポートをさせていただいています。
良い縁や出会いに恵まれ
スポーツドクターとしてのフィールドも広がった
スポーツの現場は、病院とは違った色々な出会いがあって、私の場合、特に指導者やトレーナーさんなど、とても良いご縁に恵まれてきました。その出会いを通して、自分のスポーツドクターとしてのフィールドもどんどん広がり、今があると感じています。主にラグビーのスポーツドクターとして活動することが多いですが、現場のトレーナーさんから依頼されてハンドボールや柔道、相撲やバスケットの選手などをサポートすることもあります。膝関節を専門にしているので、膝の外傷率が高い競技の選手を診ることが多いですね。順天堂医院整形外科・スポーツ診療科では、主に膝関節疾患の診療・手術に携わっていて、膝前十字靭帯再建術を中心に年間約100件の関節鏡視下手術を執刀しています。
スポーツドクターだった父
幼い時から“スポーツ”と“医学”の両方が生活の中にあった
他界した父がスポーツドクターだったので、物心ついた時から土日も夏休みも父が帯同するスポーツ現場に行って遊んでいました。自分がラグビーをしていたこともあって、ラグビーの現場に行くことが多かったですね。スポーツと医学の両方が、幼い時から家族の生活の中にあったという感じです。6歳年上の兄がいるのですが、兄は私より一足先にスポーツドクターの道に進んでいました。そんな二人の背中があったことが、私自身がスポーツドクターになる大きなきっかけだった思います。兄は今、私とは違った形でスポーツ医学に携わっていますが、今でも節目には様々なことを相談し、たくさんの刺激を受けています。
選手一人ひとりのレベルは違っても、“旬”の時間の重みは同じ
正確な診断だけでなく、彼らが今いる時間の重みを共有することが大切
スポーツドクターは医師であって、指導者でもなければ家族でもありません。医師である以上、正確な診断をはっきりと伝えることこそが、現場から最初に求められている役割だと、この20年間を通して感じてきました。だから、まずは医師としてしっかり診断することが大前提で、そのうえで“スポーツドクターだからこそ”という判断と治療オプションについての引き出しが出てくるのだと思います。そこには、競技種目やレベルの差はありません。たとえ日本代表クラスの選手であっても、高校生やスポーツ少年団の子ども達であったとしても、競技者としての“旬”の時間の重みは変わりません。診断結果と治療期間、リスクの少ない治療法を聞くだけなら病院に行けば済む話ですが、スポーツドクターである以上は、選手一人ひとりの“旬”の時間の重みを理解し共有したうえで、導いていくことが大切なんだと思っています。
選手に寄り添い、思いを共有する一方で
彼らの安全を守るためにストップをかけなければならない時もある
選手によっては、目の前の試合に出場するかしないかで、大学進学が決まるというような例もありますし、ワールドカップのように、たった一つのプレーで、その後の人生がガラッと変わってしまうこともあります。だからこそ、医師としてしっかり判断をし、且つその選手の思いと時間を共有することがすごく大事かなと思っています。もちろん、その一方で彼らの安全を守ることが大前提であり、そのために医師としてストップをかけなければならない時も多々あります。そのバランスを取るためには経験が必要ですね。順天堂には、今、経験豊富なたくさんのスポーツドクターがいますが、皆、素晴らしいですよ。それぞれの現場で、日々様々な葛藤をしながら、スポーツのサポートに携わっていますから。
目の前の選手が幸せになってくれることがスポーツドクターとしての目標
スポーツドクターとしては、目の前の選手が幸せになってくれることが目標なんです。選手が幸せになれば、その選手に関わった人すべてが幸せになれますから。そこに自分の職業を捧げることができるというのは、大きなやりがいだと思っています。
2015年ラグビーワールドカップでは日本代表チームに帯同
医療の現場から支えたチームの勝利
2015年ラグビーワールドカップでは、日本代表チームに帯同していました。4年という歳月をかけチームを創り、初戦の南アフリカ戦(※)が行われる9月19日を目指し、一丸となって準備をしました。ワールドカップで現地入りできる選手は31人なんですが、大会1か月前の時点では40人弱のメンバーが最終選考に残り合宿をしていました。実は、その時点での負傷者はとても多かったんです。その選手たちが試合に出られるのか出られないのか、出場できたとしてもパフォーマンスが出せるのか出せないのか、現地まで連れていったとして試合に出せるのか、そういう葛藤の中で医師としても判断していかなければなりませんでした。
この仕事をしていると、予想外のことや一人で判断できないこともたくさん起こります。スポーツ現場の医師は、トレーナーさんやコーチングスタッフ、栄養士さんなどと色々なことを共有しながら進めていかないと成り立たない仕事なんです。あのチームは、素晴らしいスタッフのサポートと選手の頑張りがあって、ワールドカップで過去2度の優勝を誇る南アフリカへの勝利につながりました。チームドクターとして関わり、優秀なトレーナーさん達とともに医療の現場からチームを支えることができたことは、僕自身にとって非常に印象に残る出来事になっています。
※2015年9月19日にイングランド・ブライトンで行われたラグビーワールドカップの日本 対 南アフリカ戦。2つの引き分けを挟んで同大会16連敗中だった日本代表が、過去2回の優勝経験を持つ世界ランキング3位の南アフリカを34-32で破った。
目の前のことに着実に取り組み続けたその先に、色々な世界が広がる
~スポーツドクターを志す皆さんに伝えたいこと~
僕自身、ずっとスポーツドクターになりたいと思っていたかというと、実は途中途中で違う道を考えたこともありました。強い志を持っていたというよりは、自分のやるべきことというか、自分がやった方がいいのだろうなと思ったことを続けていたら、今ここにいる、そんな感じです。だから同じ道を志す高校生や大学生にも、今、自分の目の前にあることに取り組むことが大切だと伝えたいです。今、部活動に取り組んでいるならば、みんなと一緒に勝つための努力をする時間がすごく大切だし、受験生であれば、その目標を達成するためには勉強した方がいい。どんな状況でも、目の前のことにしっかり取り組んで、それを積み重ねていった先に、色々な世界が広がっていくんじゃないかと思っています。
また、スポーツ現場から学び、いつも自分が大切にしていることの一つが、ロイヤルティ(loyalty)を持つということです。自分の仲間だったり、家族だったり、学校、チーム、住んでいる街や人々、そして自分の国ということになるのでしょうけれど、そういうことにロイヤルティがないと、最後に笑えない。それはまた、ここぞという時の未知のパワーにもつながるんだと思います。
最後に...
4月からスポーツ健康科学部の教授になりましたが、僕自身にとって、新しいチャレンジだと思っています。スポーツ健康科学部と医学部が自由に活発に連携し、それが深まり、多くの“何か”が生まれれば面白いですよね。その懸け橋になれればと思っています。