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2024.09.20
高齢化先進国である日本の知見を共有することで、開発途上国の高齢者を幸福に
近い将来多くの国で、高齢化と人口減少という大きな波が押し寄せることが予想されています。グローバルヘルスリサーチ研究室は、「高齢化先進国である日本の知見と経験を活かし、研究成果を共有することで開発途上国(以下:途上国)のウェルビーイング向上に貢献する」というコンセプトのもとで研究を進めています。静岡県伊豆の国市を実証フィールドとするプロジェクトでは、サイバー空間と融合する健康寿命延伸のシステムを開発し、社会実装することを目指しています。長年にわたって途上国・新興国でのグローバルヘルスに従事してきた湯浅資之教授に、プロジェクトが目指すものや目標に向かってどのように研究を進めているのかなどを伺いました。
世界の人々の健康と幸福を研究テーマとする研究室
――グローバルヘルスリサーチ研究室とは、どんな研究室ですか。
グローバルヘルスリサーチ研究室は、世界のすべての人々の健康とウェルビーイングの向上を目的とした教育と研究、およびその成果の社会実装を行っています。研究対象は幅広く、ミクロレベルの個々人の健康行動の促進から、マクロレベルの医療サービス・高齢者ケアのモデルの構築まで、多彩な研究を展開しています。
これらの研究を進めると同時に、これからのグローバルヘルスを担う、高度な能力を有する学際的かつ国際的な人材の育成にも努めています。そのため当研究室は留学生比率が高く、修士課程と博士課程の学生、研究生を含めて約80名が在籍していますが、その6割が13カ国からやってきた留学生です。これだけの留学生数は、本学でももっとも多いのではないでしょうか。
――医学部を卒業した湯浅先生がなぜグローバルヘルスの道に進んだのでしょうか。
医学生だったときにバングラディッシュを訪れ、途上国の貧困の実態を見たことで価値観がガラリと変わったのです。そこからグローバルヘルス分野の道を歩み始め、長年にわたって国際協力機構(JICA)の専門家としてフィリピンでエイズ対策プロジェクトや母子保健プロジェクトに従事してきました。その後もシリア、ボリビア、ブラジルなどへ赴任してきました。
そして、40代半ばで帰国してからは、順天堂大学で教育と研究を行い、そこで得られた知見を通して新興国・途上国に貢献することを探ってきました。
――主な研究テーマを教えてください。
日本がさらされてきた高齢化と人口減少という“大きな波”は、近い将来世界に到達し、新興国や途上国に特に大きなダメージを与えることが予想されます。そうなる前に、超高齢化先進国である日本が“持続可能な地域共生社会”を創り、その成果や経験を共有することで世界に貢献することを主たる研究テーマとしています。
2021年から取り組んでいる「陽伊豆る国(ひいずるくに)構想」(参考1)は、高齢化と生活習慣病対策の地域モデルを形成する研究プロジェクトです。このプロジェクトでは、「健康寿命の延伸」を目指している静岡県伊豆の国市を実証フィールドとして、「在宅医療システムの確立」「フレイル(虚弱)予防の環境整備」「地域交流の場の整備」など、高齢者が慣れ親しんだ地域や自宅で自分らしく暮らし続けることを可能とする「Ageing in Place」実現のための取り組みを展開しています。
(参考1) 「陽伊豆る国構想」について・・
伊豆の国市とサイバー空間でリエイブルメントを実践
――最新の研究で注力しているのはどのようなことですか。
「陽伊豆る国構想」の一つである、フレイル*1予防の取り組みです。ただし、私たちは「フレイル(Frail:虚弱)」というマイナスなイメージの表現よりも、「リエイブルメント(Re-ablement:再びできるようにする)」というポジティブな表現を使うようにしています。リエイブルメントは介護の前のリハビリテーションを原則として、高齢者が自立した生活を継続するために能力の回復・改善・維持を図ります。介護予防のためのフレイルは「悪くなることを防ぐ」という意味合いで使われますが、リエイブルメントでは文字通り、「再びできるようになる(元の生活を取り戻す)」ことを重視しています。
*1 フレイル・・「加齢により心身が老い衰えた状態」。健康な状態と要介護状態の中間の段階を指す。
――具体的にどんなことをするのでしょうか。
リエイブルメントにおける能力を8つの項目に分類し、それぞれの機能を評価して、能力を改善するための場所と機会を提供します。8つの項目とは、ICOPE*2に掲載されている「感覚機能(聴覚・視覚)」「移動能力」「活力・栄養」「認知機能」「心理機能」に、「交流能力」「口腔機能」「生きがい」を加えたものです。
*2 ICOPE・・(integrated care for older people)の略。 WHOが発表している高齢者の健康寿命延伸や介護予防のために統合ケア
各機能の評価については、これまでにも能力ごとに確立されたフレイル評価ツールはありましたが、すべてを統合したツールはなく、1項目ずつ調べようとすると4時間以上もかかり現実的ではありませんでした。2020年4月からは、厚生労働省による後期高齢者向け「フレイル健診」が行われていますが、こちらは簡易的なものです。なので、8つの項目を統合させ、メタボ健診のように手軽に統合的に検査ができて、1時間程度で調べられるシステムを作ろうとしています。
そのための拠点として、2024年4月、伊豆の国市に「リエイブル伊豆おおひと」というデイトレーニングセンターを開設しました。そして、その施設を利用する高齢者に協力してもらいながら、評価ツール(HaaS:Health-Tech as a Service)と私たちが呼んでいる、現実のフィジカル空間とネット上のサイバー空間という2つの次元で評価する仕組みを開発しています。
――サイバー空間での展開とはどのようなものですか。
サイバー空間では、バイオデータなどの身体情報[「IoB(Internet of Bodies)」、スマホなどのモノを介した情報「IoT(Internet of Things)」、気象情報や社会資源情報などの環境情報「IoE(Internet of Environment)」を人工知能(AI)がモニタリング・分析して、個別最適化された健康アドバイスを提供します。
一方、伊豆の国市というフィジカル空間を社会実装の場としています。運動や散歩などで「動く」、多世代交流の場に「集う」、ボランティアなどに参加して「役立つ」という活動の場があり、高齢者がそれらに参加すると「健康マイレージ」を獲得できるしくみで、将来的には健康マイレージは地域で使えるポイントとして活用したいと考えています。いくら情報を分析して住民の方に提供したとしても、行動に移さないと意味がないので、「健康マイレージ」が行動の強力な動機づけなればと思っています。また、高齢者にかぎらず、伊豆長岡温泉で観光を主体としたまちづくりグループとも連携して、観光客にも健康マイレージを付与することで、地域振興につなげることを話し合っています。
南アジアの国との共同研究でHaaSのシステムを開発
--それらのシステム開発はどのように進めているのですか。
全体のしくみについては伊豆の国市と連携し、健康マイレージは地元の金融機関に相談する、というように関係各所と話し合いながら進めています。8つの項目の評価ツールでは、栄養改善プログラムや口腔フレイル予防プログラムを導入するなど、さまざまな企業も参画しています。また、本学保健医療学研究科の高橋哲也教授らが開発した身体フレイル予防プログラムを移動能力評価ツールとして活用するなど、順天堂大学発の技術も含まれています。
――さまざまな企業や学内の研究室との連携により進められたのですね。
しかし、これらを統合した全体のシステム作りではとても苦労しました。いくつもの国内IT系企業の方に協力をお願いしたのですが、競合他社が開発したソフトと統合するエコシステムの構築が難しく、複数企業との契約実績がなかったので、まったくうまくいきませんでした。なにより、国内企業とではコスト的にまったく折り合いがつきません。
それで困り果てていたときに、仲間の一人から「日本にこだわる必要はないのではないか」と言われて、「確かにそうだ!」と頭を切り替えることができました。私たちはすでに世界中にコネクションを持っています。その中で検討してみたところ、私たちの研究室に在籍している教員とのつながりから、パキスタンの人工知能研究所が開発してくれることになったのです。
――パキスタンがシステム開発とは意外です。
パキスタンは軍事クーデターが続く政情不安定な印象が強いかもしれませんが、実はICT大国で、スピーディかつ拡張性の高いシステム開発が進んでいます。
そもそもデジタル対応については、途上国のほうがスピーディに進む印象です。タイの公衆衛生省とは数年前から強いつながりがあり、コロナ前に全高齢者をスクリーニングするアイデアについて話したところすぐにシステム開発を実施。2024年の時点で、全高齢者1000万人の7割にあたる700万人分のデータを収集したとのことでした。
人口が多くないからこそできることなのかもしれませんが、意志決定やシステム開発にかかる時間が日本よりはるかに早く、今回のシステム開発にしても国内企業よりはるかに低いコストで行うことができます。
途上国の高齢者が健康で幸福に暮らせるように
――今後、この研究をどのように発展させていきたいと考えていますか。
伊豆の国市での研究プロジェクトを、世界に展開していくことです。現在開発中のリエイブルメントの評価ツールは多言語対応も容易ですから、デジタルシステムの強みを活かして、世界の健康寿命延伸に役立てていきます。
伊豆の国市で得られた成果を世界と共有する取り組みを「3A(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)構想」と呼んでいますが、これらの国々に日本の高齢化対策の成功事例を広めていくことを特に重視しています。
――研究を通じて実現したい夢や目標を教えてください。
世界中の高齢者が、元気に、笑顔で生きられるようになることです。日本には医療保険制度や介護保険制度があり、誰でも医療や介護サービスを受けることができます。その仕組みも限界に近づいているといわれていますが、途上国では介護保険など作れる状況にありません。
かつて私が見たタイの農村部では、家の外の地面に粗末なベッドのようなものが置かれ、そこで高齢者が放置されていました。途上国ではそのような劣悪な状況にいる高齢者を大勢見てきました。日本同様の高齢化の波は、近く途上国や新興国にも押し寄せると考えられますから、そのような不幸な高齢者を増やさないためにも一刻も早くその準備をする必要があります。
最後に、私が勉強会などの後で必ず読み上げ、自戒としている言葉を紹介します
“私たちは、だれひとり取り残されず、すべての人が健康でより良く生きることができる世界の創造を目指します”
この言葉に、私たちが目指すものがすべて詰まっています。