SPORTS

2021.01.26

運動していて「つらい」と感じるのは、なぜなのか?複雑な脳のメカニズムを解き明かす

運動やスポーツと脳の多様な関係性について、多角的なテーマで研究に取り組むスポーツ健康科学部生理学研究室。同研究室では、分子レベルから人の全身の動きに至るまで、幅広い視点で運動と脳に関わる身体のメカニズムを研究しています。「運動の"やる気"はどのように生まれるのか?」「運動していて"つらい"と感じるのは、なぜ?」――運動と脳の関係性を解き明かす研究の現状について、和氣秀文教授、山中 航助教に話を聞きました。

運動の苦痛感が負のスパイラルを引き起こす?

生理学研究室では、①スポーツの競技力向上、②運動と健康の関係にフォーカスを当て、運動によって変化する脳の構造と機能を明らかにする研究に取り組んでいます。
「“運動と脳の関係”と聞くと、筋肉を動かす運動神経をイメージされる方が多いかもしれませんが、筋肉が正常に動くためには、血流を調整する自律神経の働きが欠かせません」と和氣教授は言います。血液には、筋肉にエネルギーや酸素を供給し、筋肉の活動によって生じた疲労物質を洗い流す働きがあります。そうした血液の循環をうまく調整しているのが、自律神経であり、それは脳によって調節されています。
この筋肉と自律神経の関係は、運動で感じる「苦痛」にも深く関わっています。「マラソンや駅伝の選手は、終盤になると苦しそうな表情を浮かべ、ペースが落ちてきますよね。この“苦しい”という感覚が、運動の限界を決め、競技パフォーマンスを大きく左右しているんです。そこで、運動の苦痛感のメカニズムの解明が競技力向上に繋がるのではないかと考え、研究を進めています」(和氣教授)。

和氣 秀文 教授

運動で疲労状態に達すると、脳の中でもストレスに強く反応する神経細胞が集まった扁桃体(へんとうたい)という部位に変化が起き、苦痛感が強まります。扁桃体の変化は、自律神経の中でも交感神経を活発にするため、「苦しい」「つらい」と感じることで交感神経が必要以上に活発になり、血管が収縮し、筋肉への血流が滞ります。血流が滞った筋肉には疲労物質が蓄積され、その情報がまた扁桃体を刺激し、さらに苦痛感が強まります。こうした「負のスパイラル」が、競技パフォーマンスに影響を与えるのではないか、と和氣教授は考えています。
「扁桃体の機能を喪失させたラットで、喪失前と後の運動パフォーマンスを調べると、喪失後の方がパフォーマンスが上がるという実験結果があります。扁桃体の機能が抑制されれば、苦痛を感じず、もっと長時間、強い強度で運動ができるかもしれません。運動中の扁桃体と苦痛感の関係について、今後さらなる研究を進めていきたいと考えています」(和氣教授)。

高血圧の発症メカニズムに深く関わる「脳」

さらに和氣教授は、「脳」が運動と健康にどのように関わっているかについても、研究を進めています。
交感神経の働きが活発になると、血管が収縮して血液の流れが悪くなる――実は、このメカニズムは、高血圧が発症する原因の一つでもあることがわかっています。「つまり、高血圧の発症にも運動時の血液循環調節と同様、“脳”が深く関わっているということです。高血圧の予防・改善には運動が良いと言われますが、なぜ運動が高血圧を予防し、改善するのか。そのメカニズムを探るため、脳に焦点を当てて研究しています」(和氣教授)。
高血圧の発症には、「遺伝的要因」と、ストレスのような「環境的要因」があると言われています。このうち、遺伝的要因の一つに挙げられるのが、脳の中の血圧をコントロールする中枢で起きる炎症反応です。和氣教授によると、この炎症反応は、運動トレーニングによって抑えられることが分かってきていると言います。
また、環境的要因としてよく知られているストレスも、脳の働きと深く関わっています。「最近の我々の研究から、慢性的なストレスで扁桃体において血圧を調整する遺伝子発現パターンが変わること、さらに、運動習慣によってその約8割が正常に改善されることが明らかになっています。そこで、運動が扁桃体を介して交感神経を抑制し、血圧上昇を抑えるのではないかと考え、さらに研究を進めているところです」(和氣教授)。
生活習慣病といわれ、心臓病や脳卒中といった循環器病の危険因子でもある“高血圧”。高血圧と運動に関するメカニズムが解明されれば、社会に広く運動の重要性を強調することに役立ちます。

様々な機器が揃う生理学実験室

運動の“やる気”が起きるメカニズムを追究

高血圧をはじめ生活習慣病の予防に運動が効果的とわかっていても、なかなか“やる気”が続かない――。これは多くの人が抱える悩みでしょう。「ネズミを回転ホイール付きのケージで飼育すると1日に何千回も走って廻すんですが、それを見ると、どうして走るのかな、と思うんです。きっと、病気予防や将来の健康のために運動しているわけじゃないですよね」――そう話す山中助教は、「運動したい」というやる気、運動モチベーションが起きる脳内メカニズムの解明に挑んでいます。
運動へのやる気がなぜ起きるのか。山中助教は、神経伝達物質の一つであるドーパミンがその鍵を握っていると言います。「ドーパミンは、何らかの“報酬”をもらうと脳の中で分泌されますが、運動をしているだけでも分泌されることが分かっています。では、生物にとって、運動はそれ自体が報酬になるのでしょうか」(山中助教)。それを知る手がかりを掴むため、同研究室では、運動直前の「これから運動しよう」という段階でもドーパミンが分泌されるのか、動物を使った実験が進められています。
現在、運動不足は国内でも社会的な課題となっています。「定期的な運動習慣がある人は30%程度と言われています。運動が脳内でどう処理されているのかを理解し、みなさんの運動へのやる気を引き出すことができるような運動指導員を育成できたらいいですね」と山中助教。研究成果によって運動習慣のある人が増え、生活習慣病の予防や改善の後押しとなることが期待されています。

山中 航 助教

VR技術を活かした研究が進む

ゲームやエンターテイメント分野での活用が進むVR(Virtual Reality:仮想現実)技術ですが、同研究室でも、現在、VRを用いた研究が進んでいます。
「競技中の選手は、さまざまな場面で心的変化が生じます」と山中助教。その典型的なものとして、山中助教が考えたのが「追い抜く」「追い抜かれる」という場面です。「自転車をこいでいる人に、VRで他者を追い抜く映像、または他者に追い抜かれる映像を見せ、血流や心臓に起きる変化を調べる実験を行いました。その結果、追い抜く時、追い抜かれる時には、通常時と比べて血圧や心拍数が明らかに変化するというデータが得られました。これは『追い抜く』『追い抜かれる』というシチュエーションでの情動の変化が、自律神経応答や運動パフォーマンスに影響することを示唆しています」(山中助教)。

VRを用いた実験の様子。「追い抜く」「追い抜かれる」という場面での血圧や心拍数にどのような変化が生じるかを調べた。

さらに和氣教授は、VR研究に新たな広がりを期待しています。「たとえば、運動中の苦しいイメージの映像を見せながらMRIを撮影すれば、実際に脳の扁桃体がどう変化しているのかが分かってくるかもしれません。苦痛感とは逆の発想で、寝たきりの状態の方にVRで楽しく運動している映像を見せると、心臓や血管に良い刺激が加わり、意外な効果が得られる可能性もあると思います。人への応用にも繋げられるよう、いろいろなデータを積み上げていきたいと思っています」(和氣教授)。

「研究者の“金メダル”を目指してほしい」

昨年、生理学研究室は、順天堂で推し進めている研究ブランディング事業の一環として、医学部と共同でトップアスリートの脳の特徴を明らかにする研究にも取り組みました。
世界クラスの体操競技選手と一般の人の脳のMRI画像を比較、解析した研究では、空間認識や感覚情報の統合に関わる領域と、作業記憶などに関わる領域が大きい選手ほど、Dスコアが高いという結果(下図)が得られました。また、陸上短距離の選手に、トラックを走っている映像を見せ、アスリートではない人と比べて活性化する脳の領域がどう変わるかについての研究も進んでいます。

世界クラスの体操競技選手の脳の特徴を明らかにした研究より

関連リンク

・世界クラスの体操競技選手の脳の特徴を明らかに~ 新たなトレーニング法開発や競技能力の客観的評価に役立つ可能性 ~(プレスリリース)
 https://www.juntendo.ac.jp/news/20201105-01.html

生理学研究室の研究環境について、和氣教授は「分子生物学から人への応用まで、幅広く研究できる設備がありますし、医学部や海外の大学とも連携しています。スポーツ生理学に興味を持っている学生にとって、とことん研究できる環境だと思います」と力を込めます。スポーツ健康科学部には、アスリートとして活躍した後、優れた研究者として活躍している卒業生も少なくありません。
「運動と脳の研究をしていると、アスリートが頭をすごく使っていることが分かります。その脳は、研究者としても素晴らしい能力を発揮するはず。そういう人が一人でも多く研究の道に進んでくれるよう、研究の面白さを伝えていきたいです」と山中助教。和氣教授も、学生には熱い期待を寄せています。「スポーツ健康科学部では、スポーツでメダリストを目指す学生がたくさん学んでいますが、ぜひ私たちの研究室で世界レベルの研究に取り組み、“研究者で金メダル”を目指してほしいですね」(和氣教授)。

Profile

和氣 秀文 HIDEFUMI WAKI
順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科 教授

1989年、順天堂大学体育学部卒業。1991年、筑波大学大学院修士課程体育研究科修了。博士(医学)。東京慈恵会医科大学医学部専攻生、福島県立医科大学医学部助手、英国ブリストル大学リサーチフェロー、和歌山県立医科大学医学部講師、順天堂大学スポーツ健康科学部先任准教授を経て、2016年から現職。順天堂大学スポーツ健康医科学研究所副所長。研究分野は、循環生理学、神経科学、病態生理学など。

山中 航 KO YAMANAKA
順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科 助教

2005年、順天堂大学スポーツ健康科学部卒業。2011年、玉川大学大学院脳情報研究科満期退学。博士(スポーツ健康科学)。京都府立医科大学プロジェクト研究員、玉川大学脳科学研究所嘱託研究員、順天堂大学スポーツ健康科学部非常勤講師を経て、2015年から現職。研究分野は、神経科学、循環生理学など。

この記事をSNSでシェアする

Series
シリーズ記事

健康のハナシ
アスリートに聞く!
データサイエンスの未来

KNOWLEDGE of
HEALTH

気になるキーワードをクリック。
思ってもみない知識に
巡りあえるかもしれません。