SPORTS

2019.12.25

若い頃の運動経験はどのように活かされるのか? サルコペニアの予防につながる 筋肉の萎縮メカニズム解明を目指して

加齢とともに筋肉が萎縮し、自立した生活が送れなくなるサルコペニア。近年、サルコペニアを予防するためにも、若い頃の運動が大切であることがわかってきました。運動により筋肉の萎縮を予防できれば健康寿命が伸び、国全体の医療費削減にもつながります。若年期における運動の重要性に着目し、サルコペニアの予防につながる筋肉萎縮メカニズムの解明を目指して2017年に渡米した、順天堂大学COIプロジェクト室(※)の吉原利典特任助教が、2年間の留学を終えて帰国した今、留学先での経験と今後の研究に向けた想いを語ります。 (※)順天堂大学は、文部科学省と科学技術振興機構が推進する「革新的イノベーション創出プログラム」(Center of Innovation=COI)の中核研究機関として、ロコモティブシンドローム(運動器症候群、略称:ロコモ)の未然防止方法を開発するプロジェクトに取り組んでいます。

若い頃の運動経験が中高年期を変える!

「過去の運動経験は、その後どのように活かされるのか」――それが私の大きな研究テーマです。例えば、一度鍛えられた筋肉は筋トレをやめて筋肉が萎んでしまっても、再び筋トレを行うことで比較的短時間で以前鍛えられていた状態に戻ります。これは「マッスルメモリー」と呼ばれるもので、筋肉もまた脳と同じように運動という刺激を記憶すると言われています。

実際、過去に運動をしていると、再び運動を始めた時の適応が早く、?齢期での運動が筋?の萎縮を抑えるのにより役立つというエビデンスが報告されています。私の実験でも、若年期に運動させたマウス群と運動させないマウス群では、成長後の運動効果が異なります。つまり、子どもの頃からしっかり運動すれば、中高年になってから運動しても効果が出やすく、サルコペニアの予防にもつながるのではないか。そう考えて、研究を進めているところです。

スポーツクラブと共同で行った公開講座で参加者にアドバイスする吉原先生(右)

速筋の萎縮モデルを求めて横隔膜に着目

筋肉には「速筋」と「遅筋」があります。「速筋」は人が素早く動くときに使う筋肉で、力やパワーの大きさが特徴です。一方、「遅筋」は持続的な運動に使われます。特にスプリント・パワー系のアスリートにとっては、この速筋と上手く付き合うことが成功の鍵と言っても良いでしょう。
サルコペニアは年齢とともに骨格筋(骨格を動かす筋肉)が萎縮し、筋力が低下して起こりますが、とりわけ速筋線維が萎縮するという特徴があります。しかし、なぜ萎縮が起こるのかについてはわかっていないことが多く、また研究を進めるにあたって“遅筋を萎縮させるモデル”は多くあっても、“速筋を萎縮させるモデル”は少ないのが実情でした。したがって、高齢期に起きる筋肉の萎縮を防ぐ?法を?出すためには「速筋線維の萎縮メカニズム」を明らかにすることが必要不可?です。

そこで注目したのが、人工呼吸器を装着した際の「横隔膜の萎縮」です。横隔膜には「膜」という名前がついていますが、手足の骨格筋と同じ骨格筋で、速筋線維が?常に多く含まれています。一方で、この横隔膜は、人工呼吸器を使用すると12~24時間という非常に短い時間で、筋肉が20~30%萎縮することがわかっています。もちろん、臨床では様々な対策が打たれるわけですが、速筋線維の萎縮メカニズムを研究するうえで、横隔膜は非常に適したモデルと言えます。そして、この人工呼吸器装着による横隔膜の萎縮のメカニズム解明や予防策の開発に取り組んでいるのが、米国フロリダ大学のスコット・K・パワーズ教授でした。

世界的権威のもとで学ぶため、米国留学へ
留学を後押しした2人の恩師

吉原先生が2年間留学したフロリダ大学

そこで、パワーズ教授のもとで研究を進めるため、私は2017年10月から2年間、日本学術振興会海外特別研究員としてフロリダ大学に留学しました。パワーズ教授は運動に対する骨格筋の適応研究の世界的な権威。世界で初めて動物実験に人工呼吸器を使われた方でもあります。ですから、速筋のメカニズムを解明するうえでも、人工呼吸器を研究に活用するうえでも、私にとっては最適な研究の場と言えました。
そして、このパワーズ教授を紹介してくださったのが、大学院スポーツ健康科学研究科長の内藤久士教授と大学時代の恩師である杉浦崇夫教授(山口大学)です。お二人ともパワーズ教授のもとで研究されたことがあり、お二人の勧めが留学先を選択するうえで大きな決め手となりました。こうした人間関係のつながりは研究者にとって、大きな“キーポイント”です。特に限られた時間内で成長するためには、恩師や諸先輩方のアドバイスが大きいと感じます。

研究者を育て、深いディスカッションを生む米国の研究環境
留学で得た成果とは―?

留学先の米国では、研究者を育てるための教育に、かなり力を入れていました。例えば、研究費を獲得するための授業なども行われており、競争的研究資金への応募方法や研究計画書の作成方法など、研究に直接役立つ内容が多いのも特徴です。特に米国は研究費を獲得しないと研究が行えないのはもちろんのこと、自分の給料も受け取れないことがあり、「自分の給料は自分の研究で稼ぐ」という考え方が研究者にも徹底されているように思います。これは私自身にとっても、大きな刺激になりました。

また、米国の大学ではスポーツ科学の分野でも、同じ指導教員のもと、研究室の全員が同じテーマで研究を進めます。留学先のフロリダ大学の研究室でも、パワーズ教授のもと全員で研究を進めていました。パワーズ教授は研究室に1日1回は顔を出して研究の話をされるので、いつもそこからディスカッションが始まります。研究室には、米国人研究者をはじめ、様々な国籍を持つ留学生たちが所属しており、国際色も豊か。様々な背景を持つ研究者がいたため、彼らとのディスカッションを通して、これまでにはない新たなアイデアを導き出せたことも多くありました。海外の研究者との交流は、まさに自分の殻を破る“きっかけ”にもなると言えるでしょう。

そうは言っても、私自身、渡米して半年~1年間は英語に苦労しました。特にリスニングとスピーキングができなくてディスカッションに参加できず、つらい思いをしたこともありましたが、不思議と6か月ごとに英語力の成長を実感できる機会があり、頑張ることができたと思っています。
しかし、帰国した今、英語力の習得は“留学中”よりも“留学後”にこそ得るものが大きいと実感しています。特に、英論文をより早く書けるようになったことや、グローバルな人脈ができたことは、とても大きな成果です。これからの若手研究者の方にも、ぜひ海外留学を経験していただきたいと思っています。

研究室の仲間とパワーズ教授(左から3番目)を囲んで〔右端が吉原先生〕
さくらキャンパスにあるスポーツ健康医科学研究所で行われた「国際研究交流会」。若手研究者に向けてフロリダ大学での留学体験について話す吉原先生

最先端技術を持ち帰り、日本での骨格筋研究に活用
スポーツ科学の発展に向けて

米国留学中は、最先端の技術にも触れることができました。遺伝子治療や再生医療の最前線で利用されている技術である「組換え型アデノ随伴ウイルスベクター」による遺伝子導入法もその一つです。これは、筋肉にアデノ随伴ウイルスを注入し遺伝子を取り込ませることで、新たな発現を得るもので、生体にどのような変化が起きるのかを調べて特定のたんぱく質の機能を解明することができる技術。フロリダ大学の研究室ではこの技術を用いて骨格筋の中でも“速筋線維優位な骨格筋”の萎縮メカニズムの解明に取り組みました。

しかし大切なことは、ここで学んだ技術を“今後のスポーツ科学の研究にどのように役立てていくのか”ということ。帰国した今は、順天堂での骨格筋研究にこの遺伝子導入法を採り入れるべく準備を進めています。この技術を使って筋肉に遺伝子導入している研究者は米国でもまだ少数派。この技術を用いて骨格筋研究を行うことで、サルコペニアのメカニズム解明と効果的なトレーニングプログラムの確立に向けて、順天堂での研究をさらに深めたいと思っています。

夢は、様々な観点からスポーツ科学の発展に貢献できる研究者となること。今後は海外との共同研究も積極的に進めるなど、留学で得た経験も活かして、国際的に活躍できる研究者になりたいと思っています。

スポーツ健康医科学研究所の生化学実験室で

Profile

吉原 利典 YOSHIHARA Toshinori
順天堂大学 COIプロジェクト室 特任助教

2009年、山口大学教育学部健康科学教育課程スポーツ健康科学コース卒業。2013年、順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科博士(前期・後期)課程修了(2009-2013年)。同ティーチングアシスタント(2009-2011年)。2011年、日本学術振興会特別研究員DC1(2013-2014年、早期学位取得によりPDへ資格変更)。2014年、順天堂大学スポーツ健康医科学研究所博士研究員。2015年、同大学研究推進センター・COIプロジェクト室特任助教。2017年より2年間、日本学術振興会海外特別研究員として、米国フロリダ大学へ留学。

この記事をSNSでシェアする

Series
シリーズ記事

健康のハナシ
アスリートに聞く!
データサイエンスの未来

KNOWLEDGE of
HEALTH

気になるキーワードをクリック。
思ってもみない知識に
巡りあえるかもしれません。