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2019.07.30

アスリートが最高のパフォーマンスをけがせず発揮できるように ー「筋肉」を研究する元アスリートの挑戦ー

1964年に東京オリンピックが開催され、それを機にアスリートの競技力向上が社会のニーズとなりました。スポーツの世界に"科学"が持ち込まれたのも、この頃です。以来、スポーツ科学研究が盛んにおこなわれるようになって50年以上が経ちました。それにもかかわらず、スポーツの世界ではいまだ根拠がない先入観や"伝統"に基づくトレーニング法などが少なくありません。「筋肉」の研究に取り組む、順天堂大学スポーツ健康科学部の宮本直和准教授は、スポーツの現場で長年伝統的におこなわれてきているウォーミングアップ法などに疑問を提示。科学的根拠に基づいた、スポーツ傷害予防法や競技力向上のためのトレーニング法の構築を目指しています。

大舞台でアスリートを襲う悲劇
アスリートの肉離れは防げないのか?

アスリートの競技成績やキャリアを大きく左右する「けが」。なかでも発生頻度が高いのが、肉離れなどの筋損傷です。2001年以降の調査によると、肉離れの受傷率は年4%ずつ増加し続けており、リハビリ後の再発率も約20%と高い状態にあります。2016年リオデジャネイロ・オリンピックにおいても全てのスポーツ傷害の約30%を占めていました。
オリンピックという大舞台で肉離れなどを起こさないよう、アスリートも入念なウォーミングアップをおこなっていたはずです。大会前も十分な調整をおこなっているでしょうから、極度の疲労が溜まっているわけでもないでしょう。なのにオリンピックという大舞台で、けがに泣いてしまう。
その背景には、ストレッチを含めたウォーミングアップ法に何か足りないものがあるのではないか? ひょっとしたら、正しいウォーミングアップ法が他に存在するのでは?――私にとって、こういった疑問が研究を推し進める原動力となっています。

「運動直前のストレッチに肉離れ予防効果はない」
海外の研究からもたらされた衝撃的な結論

私たちが慣れ親しんでいるウォーミングアップといえば、ジョギングやストレッチが中心です。しかし、これらの方法に肉離れ予防の科学的根拠があるわけではありません。欧州のプロサッカーチームなどを対象にした調査が15年ほど前からおこなわれてきており、「運動前のストレッチの有無は、肉離れの受傷率と関連がない」と報告する論文が増えてきました。2014年には、同分野の研究をまとめたレビュー論文が発表され、そこでは「運動前のストレッチには肉離れの予防効果がない」と結論づけられています。

問題があるのはストレッチのやり方?!
「筋肉」には、わかっていないことばかり

では、一体どんなウォーミングアップをおこなえば、肉離れを予防できるのでしょうか? 肉離れは、太もも裏のハムストリングの中でも大腿二頭筋で多く発症しますが、それはなぜなのでしょう? 私たちの研究では、一般的に長座体前屈のような姿勢でおこなわれるハムストリングのストレッチによって、肉離れの発症頻度が高い大腿二頭筋は軟らかくならないことがわかっています。前述のレビュー論文で「ストレッチに肉離れ予防効果はない」と結論づけられたのは、もしかしたら、ストレッチのやり方に問題があったのかもしれません。一方で、スポーツの現場ではよく「筋肉が硬いから肉離れが起きる」と言われますが、本当にそうなのでしょうか? 実は、これを裏付ける科学的根拠もありません。また、なぜ肉離れを起こしやすい人と起こしにくい人がいるのか?――実際のところ、「筋肉」には、わかっていないことが多いのです。そのため、予防策もリハビリもうまくいってないのだと推測しています。

筋肉は軟らかい方が良い?!
競技特性や遺伝要因を考慮したトレーニング法の確立を目指して!

私は学生時代から一貫して「筋肉」の研究に携わっています。数年前までは、筋力や筋肉の大きさ、筋肉の使い方の研究をおこなってきました。ここ数年はそれらに加え、最先端のイメージング技術である超音波剪断波エラストグラフィを利用し、一つひとつの筋肉の硬さ(伸び縮みしにくさ)を直接測定。筋肉の硬さなどに着目した、肉離れ受傷リスクついての研究を進めています。
また、スポーツの現場ではよく「軟らかくて良い筋肉」と言われますが、実際に「軟らかくて伸び縮みしやすい筋肉」の方が、アスリートが高いパフォーマンスを発揮するうえで適しているのかは、わかっていませんでした。そこで、陸上競技の短距離走選手と長距離走選手の筋肉の硬さを調べてみると、長距離走選手では「軟らかく伸び縮みしやすい筋肉」を持つ選手の方がパフォーマンスが高い一方で、短距離走選手では「硬く伸び縮みしにくい筋肉」を持つ選手の方がパフォーマンスが高いことがわかりました。つまり、アスリートが高いパフォーマンスを発揮するうえで、「軟らかく伸び縮みしやすい筋肉」が適しているのか、「硬く伸び縮みしにくい筋肉」が適しているのかは、競技種目特性によって違っていたのです。

 <関連リンク>
【プレスリリース】アスリートの「筋肉の硬さ」と「競技パフォーマンス」の関連性を明らかに~競技特性と筋肉の質に応じたトレーニングの必要性を示唆~

 さらに、筋肉の硬さには、性差や年齢、日頃のトレーニングなどのほかに、“アスリート遺伝子”と呼ばれるαアクチニン3遺伝子や、肉離れなどの筋損傷受傷リスクと関連がある遺伝子のタイプも関わってくることがわかってきました。
今後、これまでに得られた知見を活かし、アスリートが、けがのリスクを減らしながら最高のパフォーマンスを発揮できるよう、スポーツ傷害予防と競技力向上の両面にとって効果的な、科学的根拠に基づいたトレーニング法やウォーミングアップ法、コンディショニング法を構築することが目標です。将来的には「競技特性」と「アスリート一人ひとりの特性」を考慮した「カスタムメイド型のトレーニング法」などの確立を目指しています。

スポーツ健康科学部に設置されている超音波剪断波エラストグラフィで筋肉の伸び縮みしにくさを測定

アスリートの筋肉に直接アプローチ
豊富な実験機器と学生被験者が研究の助けに

バイオメカニクス実験室での計測の様子

研究には筋力、筋肉の量や質、使い方を測定する実験機器が不可欠です。順天堂大学スポーツ健康科学部には、前述の超音波剪断波エラストグラフィやMRI装置、多機能な筋力計をはじめ、必要な実験機器が揃っています。
さらに順天堂には本格的にスポーツに取り組む学生が数多く在籍し、私たちの研究に協力してもらえるのも大きな利点です。私もこれまでいくつかのスポーツ系の大学を見てきましたが、順天堂ほど学生アスリートのレベルが高く、大人数で実験に協力してくれる大学は他にありません。
また、肉離れの研究をおこなううえでは、整形外科医でありスポーツドクターとしても活躍されている高澤祐治先生や医学部の先生方、遺伝子の研究をおこなううえではスポーツ遺伝学が専門の福典之先生、というように各専門領域の最前線で活躍されている先生方と、共同で研究を進められることも順天堂の大きな強みです。研究を続けるうえでは大変恵まれた環境だと感謝しています。

ウィンドサーフィン競技で世界選手権に出場
筋肉好きが高じて研究者の道へ

私自身は大学時代、ウィンドサーフィン部に所属していました。大学院生だった2002年には世界選手権に出場。2003年には国民体育大会で優勝することができました。2004年のアテネオリンピックではコーチとして帯同し、2005年・2006年はオリンピック強化指定選手に選ばれましたが、研究者として就職することになり、現役を引退しています。
現役アスリート時代は全身の筋肉を鍛え上げましたが、今から思うと競技とは関係のない筋肉を鍛えていたこともありました(笑)。筋トレは目に見えて効果がわかりやすく、競技パフォーマンスが上がることも実感できるので、私自身も筋肉が大好き!卒業論文のテーマにも筋肉の使い方を選び、それ以来、筋肉ひと筋に研究を進め、現在に至ります。

全身の筋肉を鍛え上げていた現役アスリート時代の宮本先生

アスリートへのサポートとスポーツ科学研究
両輪で進めて2020年以降のスポーツ界の発展へ

現在、大学での研究以外に、ハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)のアドバイザーを務めています。ハイパフォーマンススポーツセンターとは、日本スポーツ振興センターの直轄組織で、国立スポーツ科学センターやナショナルトレーニングセンターも、このHPSCの下に置かれています。ナショナルトレーニングセンターは日本を代表するアスリートが先進的なトレーニングを実践する場として、メディアにもよく登場するので、耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。一方、国立スポーツ科学センターはアスリートのサポートに加え、スポーツ科学の研究もおこなう場。2020年東京オリンピック・パラリンピック以降も日本のスポーツ界全体が発展していくためには、アスリートのサポートと同時にスポーツ科学研究も推進しなくてはなりません。

経験則が主流のスポーツの世界
「なぜこの方法?」と考えることが大切

元アスリートとして、そして研究者として、アスリートの方々にはぜひ、日々のトレーニングやウォーミングアップの方法に疑問を持ってほしいと思います。スポーツの世界は経験則が少なくありません。コーチや先輩の言うことも大切ですが、本当に正しいのか? 間違ったトレーニングやウォーミングアップをしていないか? 同じトレーニングを続けても効果が出る人と出ない人がいますが、出ない人は「なぜ効果が出ないのか?」を考えてみてください。それがトレーニング効果の向上につながります。「なぜ、この方法がいいのか?」を考えることが、新しい時代のアスリートにも研究者にも必要だと思います。

Profile

宮本 直和 NAOKAZU MIYAMOTO
順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科/大学院スポーツ健康科学研究科准教授

2000年、京都大学総合人間学部卒業。2005年、同大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。2005年、京都工芸繊維大学研究員。2007年、早稲田大学スポーツ科学学術院助手。2010年、同研究院助教。2012年、同講師。2013年、鹿屋体育大学准教授。2018年、順天堂大学スポーツ健康科学部准教授。現在に至る。
2019年4月より日本スポーツ振興センター・ハイパフォーマンススポーツセンターのアドバイザーを務める。
また、ウィンドサーフィンで2002年世界選手権出場、2003年に国民体育大会優勝、2005~2006年にはオリンピック強化指定選手にも選ばれるなど、アスリートとしての実績も持つ。

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