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2025.03.07

潜在意識まで解析するデータ駆動型研究で持続的な行動変容を実現

現在、医療現場で得られるカルテ情報や検査画像などの臨床情報「リアルワールドデータ(RWD)」を、予防医療やヘルスケアに活用する研究に注目が集まっています。医療データベースの充実したアメリカで予防医学とデータサイエンス研究に取り組んできたAIインキュベーションファーム(aif)副センター長の矢野裕一朗先生は、医療データだけにとどまらない、潜在意識(インサイト)まで解析するデータ駆動型研究*1を展開中です。こうした研究のきっかけに僻地(へきち)医療での経験があったという矢野先生に、現在の取り組みや研究に対する思いなどを伺いました。

アメリカでデータ駆動型研究を本格的にスタート

*1データ駆動型研究…データの収集・分析を通じて、新たな知見や仮説を導き出す研究手法。

――矢野先生の専門分野は予防医学とデータサイエンスとのことですが、どのような研究をしているのでしょうか。
これまでの研究の中でよく知られているのは、アメリカで2018年に発表した「Coronary Artery Risk Development in Young Adults(CARDIA)研究」です。この研究は、若年層(18~35歳)の約5000人(平均25歳)を1985年から30年以上にわたって追跡調査した前向きコホート研究*2で、私は2012年に渡米してから研究チームに加わり、若年期のライフスタイルや健康状態が中年期(35~64歳)以降の健康にどのように影響するかを解析しました。その結果、若年期の血圧の高さが中年期以降の心血管疾患の発症リスクや認知機能の低下に関係していることが明らかになり、若いうちからの予防的介入の重要性を示すことができました。それまで若年期の血圧やライフスタイルの影響を調べた研究はあまりなく、メディアなどでも大きく取り上げられたので、私にとっても印象深い研究の一つです。

 

*2コホート研究…共通の特性を持つ集団を追跡して、その集団からどのような疾病が発生し、また健康状態が変化したかなどを観察して、各種要因との関連を明らかにしようとする研究。

矢野 裕一朗 教授

――約10年間アメリカで研究後、帰国してからはどのような研究に取り組んできたのですか。
帰国した2020年頃は、日本腎臓学会と日本医療情報学会などにより複数の医療機関データを統合した「腎臓病総合レジストリー(J-CKD-DB:Japan Chronic Kidney Disease Database)」ができるなど、日本でも医療ビッグデータ解析が盛んになった時期でした。腎臓病総合レジストリーでは、約40万人の腎臓病患者さんの臨床情報からなるデータベースが構築されています。このデータベースを活用して製薬会社との国際共同研究を展開し、日米欧5カ国の2型糖尿病を伴う慢性腎臓病患者さんに対するSGLT2阻害薬の治療実態を調べました。その調査の結果、国による患者さんの臨床特性の違いや治療継続の違いなどが明らかになりました。

――近年ビジネス界で重要視されている「健康経営」に関する研究もされていますね。
日本企業で働いている従業員のライフスタイルとメンタルヘルス関連の欠勤率や離職率の関連を調べた共同研究ですね。経済産業省が毎年実施している「健康経営度調査」のデータを活用して企業利益に関する項目に着目して解析したところ、従業員の欠勤や離職には、健康状態やライフスタイルが影響することがわかったというものです。特に、睡眠の質や運動習慣がメンタルヘルスにおよぼす影響が大きく、企業が従業員の健康的なライフスタイルを支援することが、社員の労働生産性の向上および企業の価値創造につながる可能性を報告しました。

データにあらわれない潜在意識(インサイト)まで解析したい

――いくつもデータ駆動型研究プロジェクトに取り組んでいますが、最近特に注力しているのはなんですか。
今、挑戦しようとしているのは、データの下に眠っている、「見えない部分」を可視化することです。データ駆動型研究は生成されたデータをもとに研究していますが、データだけを評価するのでは不十分で、そのデータが生まれてくる過程や背景を理解する必要があります。例えば高血圧の解析では、単に血圧の測定値を見るだけでなく、不眠や職場でのストレスなど、血圧に影響を及ぼす多様な要因や背景を包括的に把握する必要があります。このような多角的な視点が実現されて初めて、データ駆動型研究がヘルスケアに有意義な貢献を果たすと考えられます。しかし現状では十分な分析がなされておらず、その結果、データ提供者に対して個別化されたケアや持続的な行動変容が促されていません。

実際の例を挙げると、下記の図①に示される24時間の血圧モニタリングデータでは、被検者が睡眠中にもかかわらず高血圧を示していましたが、降圧剤の用量を増やしても改善が見られませんでした。詳しく話を伺ったところ、被検者は数年前に配偶者が脳卒中を発症したため、その介護のため夜間にも頻繁に起床せざるを得ない状況にあることが判明しました。この場合、単に「血圧が高い=降圧剤の増量」という対応ではなく、快適な睡眠環境を実現するための社会的サポートが、血圧の改善には不可欠であるといえます。

図①:ある被検者の24時間の血圧モニタリングデータ

――その視点はとてもユニークですし、現実的ですね。
データを見るときは、単に「何が起こったか(what)」を知るだけでなく、「なぜそれが起こったのか(why)」を考えることが大切です。そうすることで、全体の状況がよりよく見えてきます。そして、各データ提供者に最適なフィードバックができれば、真に役立つ情報の提供と新たな価値創造が可能となります。そのためには、データの背景や状況を説明する追加情報、つまりメタデータを集めることが大切です。例えば、ウエアラブルデバイスで心拍数が急に上がったとき、その瞬間がランニング中なのか、電車内で静かにしている時なのか、あるいは夕食時なのかによって、心拍数の意味は大きく変わります。

僻地医療に従事する中で知った日常生活の大切さ

――矢野先生はどのような経緯でデータ駆動型研究をすることになったのですか。
私の母校大学は、指定された僻地の公的医療機関で9年間医師として働くと授業料貸与分を働いたことになる義務年限制度があり、私はこの義務を果たすため宮崎県で9年間僻地医療に従事しました。私が赴任したのは人口3000人ほどの村で、医者はほぼ私一人。このような環境で医師として働いたことが、その後のデータ駆動型研究につながっています。僻地での診療経験から、病院に来た瞬間の状態だけでは捉えきれない患者さんの全体像が大事だと痛感しています。僻地ならではの医師と患者さんとの近い距離感により、普段の生活の様子が自然と把握でき、そのおかげで多くの重要な情報に気づくことができました。先ほどの図に示した高血圧の患者さんの場合も同様です。

――僻地医療に従事していた頃からデータの背景にあるものを意識されていたのですね。
そうですね。僻地の医療に約10年間携わってきたお陰で、病院外でのデータの大切さに気づくことができました。例えば、別の研究では、病院でのデータは似ていても、住んでいる環境—海岸沿いか山間部か—によって健康状態が異なる可能性があることを報告しました。つまり、病院での検査結果だけに頼るのではなく、その地域のコミュニティ、患者さんの考え方、文化、普段の生活習慣など、多面的な視点で健康を考える「トータルヘルスケア」の視点が大切なのです。これを実現するには、まず、病院以外の日常生活の情報を客観的に評価できるデータ収集の仕組みが不可欠と考えています。

総合診療医のセンスを未来の医療AIに活かす

――今後、どのように研究を発展させたいと考えていますか。
総合診療医には、複数の診療科にまたがるボーダレスな視点とアプローチが求められます。しかし、診療科の境界に近い領域は、人間の直感だけでは捉えにくい面があります。そこで、いわば「第三の目」とも言える人工知能との共創により、革新的なヘルスケアの実現が可能と考えています。前述の健康経営の考え方は医学と経営学の融合を体現していましたが、今後は異なる分野の融合をさらに推し進めながらも、個々人の芯に迫る全人的な医療を実現するための研究を展開していきたいと考えています。その一環として、センシング*3技術を活用しながら病院外での日常生活や無意識の行動を可視化し、さらに機械学習や人工知能を用いたデータ駆動型のアプローチで、潜在意識に働きかける新たな研究領域を切り拓いていきたいと考えています。

 

*3センシング…センサーを用いて環境や物体の状態、動き、その他の情報を収集すること。

――生成AIの活用も研究テーマに含まれているそうですね。
生成AIの基盤となる大規模言語モデルは、テキストデータのみならず、音声、画像、動画などのマルチモーダルな情報を統合し、特定のパターンを抽出します。現在、生成AIは日常生活下の各種デバイスに搭載されており、今後は日常生活下での情報収集がさらに容易になると考えられます。もちろん、プライバシー保護や個人情報の取り扱いには十分な配慮が求められますが、こうしたデータをその提供者が価値を感じる形で活用したいと考えています。従来の個別化医療は、遺伝子や生体指標といったミクロなレベルでのマッチングに重点を置いていましたが、今後は、その人の思想や文化、嗜好、家族形態などといった社会的要因をも考慮した、よりマクロなレベルでもマッチングした個別化医療が展開されることが予想されます。こうした医療の変革において、生成AIは大きな役割を果たしていくかもしれません。

――2024年に順天堂大学に赴任したばかりですが、今注力していることはありますか。
順天堂大学では、医療ビッグデータを活用したデータ駆動型研究に取り組むとともに、総合診療科で診療の機会を得ました。総合診療は、私自身が僻地医療で培ってきた経験でもあるのですが、実はAI研究と非常に相性が良い領域だと感じています。総合診療は特定の臓器に限定されず幅広い疾患に対応するため、患者さんの症状や検査結果から論理的に病名や状態を把握する「臨床推論」という思考プロセスが不可欠です。この「推論」こそ、現在AI研究で注目されている分野です。限られたデータ量やコストの中で高いAIアウトプットを実現するためには、推論力の向上がいかに重要かが示されています。もしAIの推論力を向上させる方法が分かれば、その成果は人間の能力向上にも応用できるかもしれません。その結果、人とAIが相互にインタラクションしながら互いの能力を高め合う未来が到来すると感じています。順天堂大学総合診療科がこの分野を先導できるよう、診療、研究、教育、そして社会実装の各領域で不断前進の努力を重ね、さらなる発展を目指していきます。

Profile

矢野 裕一朗 Yano Yuichiro
大学院医学研究科総合診療科学 教授
AIインキュベーションファーム 副センター長
2002年自治医科大学医学部医学科卒業後、2012年まで宮崎県内の病院・診療所・宮崎大学に勤務。2014年博士号(医学博士)取得。2012年から米国のシカゴ大学、ノースウェスタン大学、ミシシッピ大学メディカルセンターで予防医学およびデータサイエンスの研究に携わり、2018年にデューク大学の准教授に就任。帰国後、横浜市立大学、滋賀医科大学を経て、2024年より現職。(生成系)AIとテクノロジーを組み合わせたデータ駆動型の研究を推進。

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