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2020.10.15

順天堂大学×花王 共同開発プロジェクト 看護師の声から生まれた乳がん患者さんのQOLを高める消臭パッド

順天堂大学練馬病院と花王株式会社とは共同プロジェクトにより乳がんの局所進行がんに苦しむ患者さんのための消臭パッドを誕生させました。 乳がんは、現代では9人に1人の日本女性がり患するといわれ(2017年度調べ、「全国がん登録による全国がん罹患データ」)、40代を目安に急増しその数も年々増加傾向にあります。その中でも「局所進行がん」は、病巣が潰瘍を形成し、出血・分泌物・強い異臭により、QOL(生活の質)が著しく下がります。そんな患者さんの困難や精神的苦痛を解消するため、練馬病院の医師・看護師、花王の研究者が一丸となって消臭パッド"ヒーリア"を完成させました。

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花王の"消臭技術"を知り、プロジェクトがスタート

――花王さんとの共同開発プロジェクトに至った経緯を教えていただけますか?

小坂 2015年6月、順天堂大学と花王株式会社(以下、花王)は、「健康を科学する」という共通テーマのもと、スパンの長い基礎研究に取り組む研究包括契約を締結しました。私は本学の本郷・お茶の水キャンパスで開催された花王さんの2回目の技術説明会(2016年2月)に、医師として一縷の望みを秘めて参加しました。

苦しんでいらっしゃる乳がん患者さんの潰瘍部のケアや強い臭いを解消する有効な手立てがなく、長年苦闘していたからです。石田さんの"臭いの分析・消臭技術"に関する発表をお聞きし、これだ!と思い直ちに手をあげました。

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石田 あの技術説明会のことはよく覚えています。私は消臭の研究に長く係わり、その当時は排泄物の臭いの元となる細菌を探し出しこれを消臭する技術開発を進めておりました。私の発表に小坂先生が強い関心を示されましたので、その後、すぐに病院を訪問し医療現場の現状をお伺いしました。局所進行がんの写真を紹介されたときは本当にショックでした。「こんな過酷な状態の患者さんがいらっしゃるのか」という思いで、その夜は眠れませんでした。

小坂 乳がんのつらい臭いはあまり知られていません。おそらく乳がん患者さんの数パーセントの方が大変悩んでおられる問題です。

貴田 局所進行がんの患者さんは、そのようなつらい臭いのなかで亡くなる方もいます。そして、つらい臭いのなかで、ご家族の方は最後のお別れをしなくてはなりません。私は看護師の立場として、とにかく臭いをなんとかして差し上げたいと常々考えていました。乳がん看護の現場では胸に生理用ナプキンやオムツを使わせていただくわけですが、本来陰部に使うものを女性の胸に当てるというのは、患者さんの心情を考えると本当に切ないものがあります。消臭効果も不十分です。専用の消臭パッドがあれば...と、ずっと願っていました。


もっとも苦労したのは、モデル臭を再現すること

――プロジェクト発足後、まず何に取り組まれましたか?

井上 まず臭い成分の解析・特定を行いました。その後臭い全体を再現し、花王の技術・ノウハウを駆使して消臭剤を設計します。悪臭は複数の臭い成分から構成されており、その成分が特定できても成分ごとに臭いの強弱があるので、そのまま混ぜても臭いは再現できず、微妙な量比を調整する必要があります。特に今回の難しさは、花王が医療分野の臭いを取り扱うのが初めてだったことと、患者さんにとってもデリケートな問題であることから、患者さんのいる空間に近づくことができないというハードルにありました。そこでモデル臭の候補を作って医師・看護師さんに確認いただくことを繰り返すことで実際の臭いに近づけようと考えました。この過程では臭いを言葉でどう表現するかがキー(鍵)となります。うまく表現できないと、全然違うものができてしまうからです。

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貴田 少しでも臭いの実態がお分かりいただけるように、患者さんにもご協力いただき、潰瘍の臭いがしみ込んだパッドのサンプルを花王さんにお渡ししました。

石田 はい、貴重なサンプルを頂きました。臭気判定士として長年経験を持つ私でも、嗅いだことがない臭いでした。臭いでコミュニケーションをする場合、「実物」と「共有体験」の両方が必要です。今回は共有体験がないので、臭いにどんな印象を持たれているのか言葉で表現してもらいました。

貴田 「どんな臭いですか?」と聞かれても、表現しようがなくて。最初は「拡がる臭いです」ぐらいしか、表現を持ち合わせていなかったです。

石田 その中でも貴田さんは「拡散性はあるけれど、ツーンじゃなくてゴーンという感じの臭い」と形容詞で表現された。さすが長年創傷の臭いに関わってこられた看護師さんだと思いました。続いて、「汗の生乾きの臭いですか?」などといくつか例をあげて質問していくと、「違う」と。今度は当研究所の女性研究員が「生理の臭いに近いですか?」とご質問したところ、「ちょっと近い」と。それがキッカケで、モデル臭の再現が進み始めました。「ツーン」だと酸っぱい臭いですが、「ゴーン」だからインパクトのある臭いで、拡散により消失するのでなく残るものならこの素材かな、というふうに。

貴田 私たちは臭いを感覚的にしか表現できませんが、花王さんはそこにサイエンスの光をあててくださり、分析して数値化してくださいましたね。

石田 乳がんの皮膚潰瘍部の臭いは、ガスクロマトグラフ質量分析で約300の揮発成分に分けることができました。その中から現場からいただいた声も参考にして、"におい嗅ぎガスクロマトグラフ分析"という人間の嗅覚も使った分析手法を使って、臭いの主要成分を5つに絞り込みました(図1)

これには看護師の方々の隠れた努力がありました。臭いのサンプルを病院から弊社まで運搬する際に変質しないようタイミングや方法等、大変なご苦労・工夫をしていただきました。

図1:ガスクロマトグラフ質量分析(上)、におい嗅ぎガスクロマトグラフ分析(下)

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井上 モデル臭ができるまで3か月ぐらいかかりましたね。よくたどり着いたと思います。

石田 できあがったいくつかのモデル臭を嗅いでもらったところ、全員が同じモデル臭を選びました。そして小坂先生に「"今はもういない患者さん"の顔が思い浮かびます」、と言ってもらった時には本当にホッとしました。

最初にお話を伺った時は、花王は本当に役に立てるのだろうかと絶望的な気持ちに襲われたこともありましたから。

進捗を社内で報告した際には、社長から「発想を変えよう。早く患者さんにお届けしなさい。そして生の声を聞き、寄り添って改善しなさい」と後押しをしてくれました。

小坂 私たち「1日でも早く患者さんにお届けしたい」という思いでこのプロジェクトを進めてきましたし、花王さんにも常々そうお願いしてきました。


患者さんにとってベストなものとは

――ようやくモデル臭が完成し、次の消臭の設計に入られたわけですね。

石田 はい、今回のパッドは、患部直接ではなく、そこから発生する臭いを消臭する設計が必要でした。シート構造・製造技術などは花王のノウハウを投入しました。また就業復帰やお子さんの学校参観をイメージして、臭いの漏れをどのくらいの時間防げるのか入念にチェックしました。具体的にはカップ中にモデル臭を入れ、消臭シートを被せ、漏れだしてくる臭いを検出するという方法をとりました。自信をもってお届けしたいという責任感から、最後は現物の臭いでも確認しました。

小坂 消臭設計に移行したタイミングで、患者さんが利用しやすいパッドの形状を花王さんに提案しました。

石田 パッドの形状に関しては現場が求める理想の形状を提案いただきました。人の身体に合わせたカーブ、もし滲出液を吸収しても重すぎない厚み、アウターに響かない色など、大事な要素がいくつもありました。ところがご要望を全部かなえると高コストとなってしまい、「現場の理想が実現できない」というジレンマに悩みました。そのとき、貴田さんが「私はこの製品を患者さんに最低でも10年は届けたい。そのためには価格を気にせず頻繁に交換できるパッドが必要です。他の要素はあきらめても、価格を優先してほしい」と明確な方針を示してくれました。

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名取 それまでにも傷を覆う滅菌パッドはありましたが、10枚で5,000円以上ととても高価なものでした。患者さんによっては数時間に1回交換が必要となるので、その価格帯では患者さんにとって大きな負担となります。

貴田 患者さんが使われる消臭パッドは一般雑貨となるため、保険の対象外です。全額自費になりますのでコストは最優先事項でした。最終的には175円程度の価格で発売していただけましたよね。嬉しい衝撃をうけました。

局所進行がんの臭いの原因は、滲出液自体からも生じますが、パジャマや下着などの繊維に沁み込むことで臭いが継続してしまうという問題があります。それなら、高価なパッドを長時間使うより、何度も交換できるパッドの方が繊維への沁み込みを抑え、圧倒的に臭いを軽減できるのではないかと考えました。価格優先のために、他の面ではいろいろ譲歩しましたよね。

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石田 あのとき、「価格を優先してほしい」とアドバイスいただいたおかげで私の迷いが吹っ切れました。一刻も速く患者さんにお届けしたいという基本方針に戻れました。早い段階で「コスト抑制が患者さんを救う」との理解が製品化を加速したと思います。


現場の思いがついに"かたち"に

――消臭パッドは20198月に花王さんから"ヒーリアデオドラントパッド"の商品名で発売されました。医療現場や患者さんの反応はいかがですか?

名取 大変好評をいただいています。以前はナプキンを一度に何枚も使っていた患者さんから、「このパッドなら1枚ですむ。簡易的で扱いやすい」「これまで看護師さんや家族の助けが必要だったが、その必要がなくなった」という明るいお声をいただいています。形状にもこだわったので、滲出液の漏れの心配もなくなりました。パッドの厚みもポイントで、厚過ぎると滲出液が沁みるにつれ重くなります。装着したときの重さ、触り心地もとても大切なのです。

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小坂 試作品の試験にご協力いただいた患者さんから、「試験が終わっても、是非このパッドを使い続けたい。」とお言葉をいただきました。

貴田 また、開発途中の20185月に創傷・オストミー・失禁管理学会でパッドの形状を発表したところ、とても好評でした。「いつ発売されるんですか?」という質問が多数ありました。その後も、翌年の学会の道すがらでも直接面識のない方や地方の看護師さんから「あのパッド、どうなりましたか?」と声をかけられたこともあり、「絶対にニーズがある」と確信しました。今回のパッド開発では"思いを言葉にしてみる"ことの大切さを感じました。思いを口にすれば実現するんだという貴重な経験ができました。

名取 私も乳がん学会で臭い分析の発表をさせていただきましたが、先生方から具体的な質問をたくさんいただきました。看護師さんからは「いつ発売?」と聞かれることが多く、高いニーズがあることを実感しましたね。

小坂 局所進行がんの状態になられるまでがんを放置される方というのは、自己表現が苦手で、人に相談することがなかなかできない方が多いのです。ご自身の胸がみるみる変わっていくのが怖くて、家族にも周囲にも言えず、ひとりで不安を抱えながら、病院へ行く機会を逸してしまわれます。そんな患者さんに出会ったとき、私は「よく来てくださいましたね」とお声がけします。決して「なんでここまで放っておいたんですか?」などと責めてはいけません。今回誕生した消臭パッドはそんな方々にご提供できるもの。製品化できて、本当に嬉しく思います。

井上 ありがとうございます。私どもも大変喜んでおります。順天堂大学の皆さんは初対面からとてもフランクで、本音でものが言え、初めてお会いする気がしませんでした。抱いていたイメージとは全く異なり、仕事が大変やりやすかったです。また今回のプロジェクトには、現場を大切にする双方の組織の考えがうまく機能していたと思います。

最後に、大変貴重な経験の場の提供と熱心なご指導・ご協力を頂きました小坂先生・貴田看護師長・名取主任看護師をはじめ、乳腺・内分泌外科・齊藤光江教授、練馬病院・北畠俊顕外来医長、同・外科教室・清水秀穂准教授、同・臨床検査科・滝川久美子様、本郷外科教室市川(吉田)悠子には、多大なご協力をいただきました。皆様にこの場を借りて深く謝意を表したいと思います。

 

<後記>順天堂には"人を思いやり慈しむ"気持ちを大切にする"仁"を学是にかかげ、不断前進の理念がベースにあり、花王には絶えざる革新を合い言葉に、顧客の立場にたった"よきモノづくり"の風土があります。双方100年以上の歴史があり風土に似た部分があります。机上の考えだけなく、お客様のもとを訪れ、ご意見を伺い、フィードバックの声を大切にする花王。順天堂の人を思いやる気持ち、臨床現場からあがる声・強い要望。こうした双方の風土がいい土壌になったのではないかと思われます。


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小坂 泰二郎
1997年 順天堂大学・医学部卒業、同大学にて臨床研修医
1999年 順天堂大学・大学院医学研究科博士課程入学後、同大学第2外科入局
2003年 同大学博士課程修了(博士)
2004年 同大学乳腺外科助手
2007年 がん研究会有明病院化学療法科へ国内留学
2009年 同大学乳腺外科助手
2013年 順天堂大学・練馬病院乳腺外科助教
2017年 社会医療法人石川記念会HITO病院乳腺外科部長、臨床検査部部長、医療安全管理室室長
現在  同上(兼)順天堂大学・医学部外科教室・乳腺腫瘍学講座助教 
日本乳がん学会専門医・日本外科学会専門医・日本臨床腫瘍学会専門医・指導医他

井上 道晶 
1990年 東京薬科大学・大学院薬学研究科博士課程前期修了。同年花王株式会社入社。研究開発部門・香料開発研究所、化学品事業本部、タイ・アメリカ研究所での海外勤務を経て、
現在、研究開発部門・感覚科学研究所室長。

貴田 寛子
2001年 群馬大学・医学部保健学科看護学専攻卒業。同年、順天堂医院入職
2006年 順天堂大学・練馬病院主任
2008年 日本看護協会皮膚・排泄ケア認定看護師 取得
2014年 青山学院大学・社会情報学研究科社会情報学専攻、博士前期課程入学
2016年 同大学研究科修了
2017年 順天堂大学・練馬病院 師長
2019年 特定行為研修終了
現在、順天堂大学・練馬病院看護部・師長。医療サービス支援センター 地域看護相談室兼任

石田 浩彦
1990年 東北大学・大学院農学研究科博士課程前期修了。同年花王株式会社入社。研究開発部門・香料開発研究所を経て
現在、研究開発部門・感覚科学研究所主席研究員、臭気判定士。

名取 由貴
2002年 慈恵第三看護専門学校卒業、東京慈恵会医科大学・附属第三病院 入職
2005年 順天堂大学・医学部附属練馬病院 入職
2013年 千葉大学・大学院看護学研究科・附属看護実践研究指導センター 認定看護師教育課程 修了
2014年 乳がん看護認定看護師 取得
現在、順天堂大学・練馬病院 がん治療センター・化学療法室 主任

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