SPORTS

2019.03.18

陸上男子400mハードル 第一人者が語る若手アスリート育成への想い

順天堂大学スポーツ健康科学部の教授で、陸上競技部の監督を務める山崎一彦先生。現役時代は、400mハードルの第一人者として、バルセロナ、アトランタ、シドニーのオリンピック3大会に出場し、1995年の世界陸上イェーテボリ大会では、日本人初のファイナリストとなって7位入賞を果たしました。今は、日本陸上競技連盟でも若手トップアスリートの育成に携わり、指導者として日本の陸上競技界を支えています。そんな山崎先生に、現役時代のお話や若手育成への想いを語っていただきました。【interviewer:スポーツライター 生島 淳】

大学時代に得た、選手としての成長の「きっかけ」

―山崎先生のキャリアを調べていて驚きました。オリンピックに3大会連続で出場されていますが、高校時代はインターハイで勝ったご経験がなかったのですね。大学進学で順天堂を選ぶにあたって、どのようなきっかけがあったのですか?

私と在学時期は入れ違いになりますが、110mハードルで日本人初の13秒台を打ち出した岩崎利彦さんが順天堂大の4年間でタイムを伸ばしていて、「自分も岩崎さんのように大学時代に競技力を伸ばせたら」と思ったのが大きな理由でした。私は高校3年の時のインターハイでは4位でしたし、同世代でトップというわけではなかったので、大学でなんとか成長のきっかけをつかみたいと思っていたんです。結果として、その判断は正しく在学中の1991年に東京で行われた世界陸上、1992年のバルセロナ・オリンピックに出場を果たし、岩崎さんとはチームメイトとして参加することも出来ました。「入学してから伸びる」というのは、当時の私に限らず、今の学生たちにも通じる「順天堂の特徴」だと思っています。

山崎先生「“入学してから伸びる”というのは、当時の私に限らず、今の学生たちにも通じる“順天堂の特徴”だと思っています」

―インターハイ王者ではなかった選手が、大学在学中にオリンピアンになれるというのは、とても夢のある話ですね。

大学時代の経験は、今の指導にも活かされています。私自身、高校から大学にかけては失敗が許される時期であり、競技者としてだけではなく「人間力」を高める時期だったと思っています。大学在学中は、陸上競技はもちろん、運動生理学(※1)やバイオメカニクス(※2)などの授業を通して身体の動きや働きについて学ぶことができました。競技に関わる知識を積み重ねていったことで、自分がこれまでにやってきたトレーニングなど様々なことに対して疑問を持つようになったんです。その疑問に対して、どうすれば自分の競技力を高められるか試行錯誤を続けていけたことが、その後、長く競技を続けることにつながったのだと思います。

※1:運動生理学:運動時の身体の働きとその変化、また運動トレーニングに対する身体の適応メカニズムを明らかにする学問。
※2:バイオメカニクス:身体の動きを力学的な視点から解明しようという学問。生体力学。

「疑問」を持つことの大切さ

―試行錯誤をするためには、それなりの情報や知識が必要になってきますよね。

大学時代に学んだ知識をもとに、練習方法や試合へのアプローチを考え直していくと、「本当にそうなのかな?」という疑問が湧いてくるようになります。私にとって知識が競技力に結びついていったのは大学を卒業してからでしたが、学びがなければチャンスをつかむことは出来なかったと思います。

―具体的に、疑問に思っていたことはどのようなことですか?

当時は一般的に、400mスプリンター(短距離走者)としての要素という点や、足が短く歩幅が狭いことからも、日本人にとって400mハードルはもっとも向いていない種目と見られていました。でも、本当にそうなのだろうか?という疑問を持っていたんです。

―自分の専門種目への、根本的な疑問を投げかけていたのですね。

大学時代も同世代に強い選手がいたため、なかなか日本のトップに立つことが出来ず、「どうすれば速くなれるのか?」ということを、トラックや教室でいつも考えていました。その思索や試行錯誤が在学中での世界陸上やバルセロナ・オリンピックの出場につながったと思います。

―具体的には、どんなことが導き出されたんですか。

当時から、長距離の選手たちには高地トレーニングが効果的ということが実証されていましたが、短距離の選手に関しては、高所で練習するとパフォーマンスが落ちると言われていたんです。でも、それは実証されていたわけではなかったので、私は「本当に短距離の選手にとって効果がないのだろうか?」と疑問に感じ、実際に試してみたんです。

―効果はどうでしたか?

パフォーマンスは、一時的に落ちました。周囲からは「言わんこっちゃない」という目で見られましたね。

―ダメだったんですか……。

でも、大切だったのは、“逆効果”という解釈がわかったことなのです。一時的に調子が落ちたということは、逆に“効果のありすぎるトレーニング”であるとも言えますよね。それならば、データを取りながら練習を減らしていけば良いという方向性に気がつきました。

―それは経験してみなければ、分からない事例ですね。

知識を得たことで疑問が湧き、そして実際にトライしたことが、競技力に結びついたケースでした。つまり、高所ではトレーニング量を減らすことで自分が強くなれるという“発見”があり、その分の時間を違うトレーニングに回すことが可能になりました。そのとき感じたのは、逆説の大切さです。常識とされるものは、思い込みの場合もあるということです。

1995年の世界陸上イェーテボリ大会では、日本人初のファイナリストとなって7位入賞を果たした

―大学時代は失敗が許される時期、と山崎先生が話されていた意味が分かりました。そうしたトライ&エラーが、オリンピック3大会連続出場、そして1995年の世界陸上イェーテボリ大会での7位入賞につながったんですね。

すべての国際舞台で結果を残したわけではありませんが、オリンピック、世界陸上のシーズンには調子を合わせることが出来たと思います。ただし、いまになってみると、もっと効率的にトレーニングをしておけば、より長くキャリアを続けられたという思いはあるんです。あと、10年くらい(笑)。

―いまも現役だったかもしれませんね(笑)。

山崎先生「もっと効率的にトレーニングをしておけば、より長くキャリアを続けられたという思いはあるんです。あと、10年くらい(笑)」

トップアスリートの育成に必要なこと

―山崎先生は学外でも様々な活動をしていらっしゃいますね。日本陸上競技連盟では強化委員会ディレクター(トラック&フィールド)を務められ、若手トップアスリートの育成などに当たられています。現役時代の経験が、活かされているのでしょうか。

私が現役の頃は「海外で武者修行して来い」と言われても、そのための準備がされているわけではなく、手探りの状態でした。今は、その仕組みを作ることができていますので、選手たちには、日本とは異なる環境での成功と失敗を経験して欲しいと思っているんです。そこで大切なのは、選手たちの失敗に指導者が「寛容」であることだと思っています。

―現代のスポーツでは、早い段階から結果を求める傾向が強まっています。

選手の立場からすれば、早くから結果を残してしまうと、その分、大きな期待も受け、なかなか失敗をしづらくなってしまうんです。その結果、変化に臆病になってしまう。学生時代には、トライとエラーを繰り返しながら、人間として成長できる準備をしていくのが大切です。私たち指導者の役目は、若い選手たちが、自分が思うようにいかない状況にぶつかった時に、それを解決できる力を身につけられるようサポートすることだと思っています。

日本陸上競技連盟が次世代の競技者として強化育成する「ダイヤモンドアスリート」に認定された選手たちに向けて話をする山崎先生

―大学の4年間は、様々なことにチャレンジする場だということですね。

私の競技者としての経験、そしていま指導する立場になって思っているのは、トップアスリートには大学卒業後に大成して欲しいということです。大学で完結してしまうアスリートにならないように、その先も国際舞台で戦うことを見据えて、大学時代は自分のキャリアをイメージしながら、知識を蓄え、トレーニングに励むことが大切だと思っています。

順天堂は自分を大きくできる場所

―そうした考え方は、学生たちと向き合う時にも共通しているのでしょうね。

選手とは「双発性」の関係性を築きたいと考えているんです。

―「双発性」とは、具体的にはどんなイメージですか。

選手が自分からアイデアをぶつけてきて、それに対して私も自分の経験、知識から回答を出す。そうした刺激を繰り返すことで、お互いを高め合う関係を築くのが理想だと思っています。

―学生時代の山崎先生のような選手ですね(笑)。

私は選手時代に「こうしなさい」と言われるのが大嫌いでしたから(笑)、選手の方から「こうしたい」という気持ちが出てくる環境を作り、私自身も選手から刺激を受け、進化することを怠らないようにしなければいけないと考えています。

陸上競技部の学生たちと

―順天堂では先生方も変わり続けなければいけないのですね。

順天堂は、「変化」が好きな人たちが集まっています。ただし、それがバラバラの方向を向いているのではなく、同じ方向を目指していることが特徴でしょう。変化するためには自分の弱点、欠点に向き合わなければいけませんが、克服するためには勉強すればいい。順天堂では弱点、欠点は成長する余地と捉えます。それを受け入れてくれる人間味、温かさが魅力ですね。

―初めから結果を出そうと焦る必要はないのですね。

順天堂には、大学の4年間で自分を大きく変えられる環境がある、そう思っています。私自身、大学に入った時にはオリンピック出場を期待されていた選手ではありませんでしたが、強くなりたいという思いがあり、それが成長につながったと思います。だからこそ、指導者として、誰もがオリンピック選手になれる可能性があると信じて、指導していきたいと思っています。

山崎先生「指導者として、誰もがオリンピック選手になる可能性があると信じて、指導していきたいと思っています」

Profile

山崎 一彦 YAMAZAKI Kazuhiko
順天堂大学スポーツ健康科学部教授
陸上競技部監督

1994年順天堂大学体育学部体育学科卒業。在学中の1991年に世界陸上東京大会、1992年のバルセロナ・オリンピックに出場。1995年の世界陸上イェーテボリ大会では、日本人初のファイナリストとなって7位入賞を果たす。オリンピックでは、その後、アトランタ、シドニーと3大会連続出場を果たした。2014年より母校である順天堂大学で教鞭を執る。日本陸上競技連盟では、強化委員会ディレクター(トラック&フィールド)を務める。

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