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2024.04.08
走れ、パリの舞台へ~陸上競技中長距離のオリンピアンが見据えるもの~(後編)
前編では、三浦龍司選手と塩尻和也選手、長門俊介先生に、過去のオリンピックにまつわるエピソードといよいよ始まるパリオリンピックへの思いをお聞きしました。後編では、パリにつながる昨年の好成績や今の走りを導いた順天堂大学時代の経験をお聞きし、長門先生には2人との関わりを通じて見えてきた指導の極意について語っていただきます。
パリへとつながる2023年の好成績
――三浦選手は2023年夏のブダペスト世界陸上で限られた選手のみが出場できるダイヤモンドリーグファイナルに進出し、8分9秒91で自身の記録を更新。塩尻選手は2023年12月に開催された日本選手権男子10000mに出場し、27分9秒80の日本新記録を叩き出して初優勝を飾りました。お2人にとってパリオリンピックを見据えて確かな手応えを感じた1年だったのではないでしょうか?
塩尻 この時の日本選手権の10000mに関しては、出場メンバーを見て、相澤晃選手が持つ日本記録(27分13秒75)を目指すレベルのレースになるんじゃないかとは思っていました。ここでうまく走れれば日本記録を更新するタイムが出せるのではと思ってレースに臨んで、結果的にしっかり記録を出せたのでよかったです。特別な練習をしたわけではなかったのですが、大会直前の1ヶ月から1ヶ月半の練習の中で、監督やコーチとも相談しながら集中して取り組んでいました。それまでは5000mを中心にしたレースが続いていたので、夏以降は10000mを走る土台をつくるような練習を増やして、日本選手権に向けて少しずつスピードをつけていった感じです。少し感覚的な言い方ですけど、試合に向けて「つくった土台を尖らせていく」トレーニングを積んで、それがうまくはまって当日いい結果が出せたのかなと思います。
三浦 世界選手権のダイヤモンドリーグファイナルはレースの流れもよかったですし、自分も前の年までのレース展開から少し走り方を変えたところだったので、それがうまくいったかなという気がします。もちろん、それまでの練習の成果というか効果が出たのだとは思いますけど。
長門 2人の活躍を見て、2大会連続でオリンピック出場を叶える力のある選手と出会えたことは監督として本当に運がよかったと思いますね。塩尻選手は在学中に10000mで27分47秒という記録を出しているのですが、当時、彼が履いていたシューズは現在のものに比べると性能的には劣ります。それでもそうした優れた記録を出したということは、将来的には10000mで日本記録を出す選手になるのではないかと思っていました。三浦選手も入学してすぐに8分19秒という日本記録に近い結果を出していたので、このまま練習を続けていけば8分10秒までいくのではないかと思っていましたが、その予想を超える成長を遂げてくれました。
今の走りへと導いた順大での得難い経験
――三浦選手、塩尻選手ともにオリンピック出場は在学中の大きなトピックだったと思いますが、それ以外に在学中の4年間で今の自分の走りにつながる印象的なレースはありますか?
塩尻 オリンピックはやはり大きな出来事でしたけど、それ以外で言うと、1年生の時、箱根駅伝の予選会に出場したことでしょうか。10㎞以上の距離を走るレースはまだ経験がなかった中での予選会の20㎞。ここで失敗したら箱根駅伝には出られないということで緊張もあったんですが、チームの中で積極的に先頭集団を目指す形で走らせてもらって、結果的に個人で8位という順位で走ることができました。手応えというか、長い距離を走る自信をつけることができた経験でしたね。
三浦 僕も1年生の時の箱根駅伝の予選会ですね。いきなり1年生でメンバーに選ばれて、どう走ったらいいんだろうと、かなり不安な気持ちでした。しかも、ただ走るだけじゃなくて、チームの勢いを借りつつ、戦略を持った大集団の一員として走りながら成績を残さなければいけないという緊張感もありました。そこでタイムを出せて予選を通過できたことで、ロードでのいい体験ができて、自分にとっての一つの成功体験になりました。その年の全日本大学駅伝で区間新記録を出せたのも、この予選でロードでの走りをつかめていたからだと思います。
長門 他大学が駅伝に特化していく中で、もちろん順天堂大学としても駅伝は外せないものには違いありません。しかし、陸上競技部としては、まず日本を代表する選手を輩出して世界を目指すという大きなテーマがあります。その中でインカレがあり、最終的には箱根駅伝がある。駅伝でしっかり結果を出したいという志を持った学生に対しては年間を通して準備を進めますが、そもそも陸上競技の本質は、まず個人種目があって、そのあとに駅伝があるものだと捉えています。個を伸ばす指導をして、しっかりと戦える選手を育てていった先に駅伝のような大会がある、というスタンスはこれからもぶれることのないようにしていきたいと思っています。
――塩尻選手、三浦選手にとって順大の練習環境はご自身の成長にどう活かされていると思いますか?
塩尻 僕の出身高校は特に駅伝の強豪校ではなかったので、駅伝を強化しているチームに所属するのが初めてのことでした。箱根駅伝に出場する他の大学に比べると「さくらキャンパス」は都心から離れていることもあって、練習の環境はとても充実しています。日常的にジョギングをする場所もあるし、近くにクロスカントリーのコースがあるのも特色です。僕が4年生の時には陸上競技場の周りに芝生のコースも整備されて、駅伝だけでなく、今の走りにつながるような練習ができたのはありがたかったです。
三浦 確かに練習しやすい環境でしたね。その中で当たり前のように4年間を過ごしていましたけど、今振り返ると、練習の環境だけでなく、人間の身体に関する科学的なデータを踏まえて競技に向かうことができるのは順大の強みです。僕自身、まだまだ科学的なデータを生かした競技はできてはいないので、これからもスポーツと健康・科学に関する専門家がいる順大の力を借りながら競技に臨めればと思っています。
長門 私が順大で指導をするようになったのは、ちょうど塩尻選手が入学して1年目の時です。当初は監督ではなくコーチという立場でしたが、監督になってからは、「このタイプの選手はここを強化したほうがいい」「この選手にはこういう部分を補う必要がある」というように、選手一人ひとりの個性を見極めながら指導をしてきました。三浦選手の言うように、スポーツサイエンスの視点でのサポートを行えるのも順大ならではだと思います。
コロナ禍になってからは、選手がそれぞれの地元に戻って個別に練習をしなければならない状況になりましたが、各々の練習環境を聞きながら一人ひとりに対してきめ細かい指導を続けました。むしろコロナ前よりも指導の仕方がブラッシュアップしたのではないかと感じています。
――これから、塩尻選手や三浦選手のようにオリンピックに出場できるような優れた選手を輩出していくためにはどのようなことがポイントになるのでしょうか。
長門 2人に対する指導を他の選手にそのまま当てはめて、同じように指導をすればこうなるだろうという感覚でいると大変なことになると思いますね。これはこの2人だからできたことだと思わないと間違った方向にいくのではないでしょうか。しかし、今も私が高い意識を持って指導をしたいという気持ちでいられるのは、彼らが残してくれたものがあるからです。自分の指導は間違っていなかったと思えるし、これから2人を目指す後輩たちが入ってきた時に、「彼らはこういう学生生活をしていたよ」という話もできる。このくらいのレベルまでいかなければいけないという目指すべき指標が明確に私の中で生まれたのは彼らのおかげです。そういう経験をさせてもらったことで、指導者としての経験値が高まったと思います。これから2人を目指して多くの選手が順大に入学してくると思いますが、彼らに対しても「こうじゃなきゃいけない」という指導ではなく、「こういうアプローチもあるんじゃないかな」という引き出しの多い指導していきたいですね。