SPORTS
2024.04.08
走れ、パリの舞台へ~陸上競技中長距離のオリンピアンが見据えるもの~(前編)
目前に迫った2024年夏のパリオリンピック。順天堂大学出身の選手による陸上競技にも熱い視線が注がれています。2023年、世界最高峰といわれる陸上競技ダイヤモンドリーグで好成績を収め、一部の選手しか出場できないファイナルへ進出し5位に輝いた三浦龍司選手と、同年12月の日本選手権10000mで日本新記録を樹立した塩尻和也選手。学生時代はともに順天堂大学陸上競技部の長距離ブロックとして、トラック種目だけではなく駅伝にも出走し、大学2年生でオリンピアンとなった2人は、今パリオリンピックをどう見据えているのでしょうか。その成長を目の当たりにしてきた現駅伝監督の長門俊介先生を交えてお聞きしました。
大学2年生でオリンピアンにそれぞれのオリンピックとは
ーー塩尻選手は 2016年にリオデジャネイロオリンピック、三浦選手は2021年の東京オリンピックに出場を果たしました。三浦選手は3000m障害で8分16秒90の記録を出して7位となり、この種目では日本人初の入賞を遂げています。2人ともに大学2年生でオリンピアンになったわけですが、その時のことを今振り返るといかがですか?
塩尻 僕はリオデジャネイロオリンピックの時点で、海外でのトラックのレース自体にまだ2回くらいしか出場していませんでした。オリンピックの選考でも参加標準を突破できていなかったので、今の自分にとって世界の壁は高いんだなと思いました。ところが、3000m障害レースの日から2週間くらい前、現地に入った日本代表のスタッフの方から、「他国出場枠の選手が辞退したので、あなたが出られるかもしれない」という連絡があったんです。「時間がないから5分で決めてほしいと」と言われて(笑)、5分の間にいろいろ考えて出場することを決めました。そこから急ピッチで調整に入って、気がついたらスタートラインに立ってレースが始まっていた、という感じでしたね。
準備期間も少なかったですし、そもそも参加標準を突破できていないこともあって、周りの選手とのレベル差も感じていました。自分の実力を出せたとしても厳しい展開だったと思いますが、それでも思っていた以上に自分の走りができませんでした。せっかく出場できたのに、いいところが出せずに終わってしまった走りだったのでとても悔しかったですね。
三浦 東京オリンピックは本来なら僕が1年生の時に開催される予定だったのですが、コロナ禍で開催が1年延期になってしまって。それまでのタイムは8分19秒台だったので、オリンピック出場は難しいかなと思っていたのですが、1年延期になったおかげで練習時間が増えてタイムも上げることができました。自分にはまだ遠い存在だと思っていたオリンピックが現実味を帯びてきて、無事に出場を果たすことができました。
東京オリンピックは無観客だったので、あまりオリンピック感がないというか、会場の雰囲気に飲まれるようなことはなかったです。とはいえ、僕もこの時はまだ世界大会の出場経験もなくて、世界から選ばれた選手たちと肩を並べて走ること自体がはじめてのことでした。やはりオリンピックの場は、それまでに経験してきたどのレースとも違う独特の雰囲気と緊張感があって、それを肌で感じながら走っていましたね。
――2人にとってオリンピックとはどういうものですか?
塩尻 自分ではプレッシャーを感じていないつもりだったんですけど、オリンピックという誰もが知る国際的な大会ということで気づかないうちに体が固くなっていたのかもしれません。そのくらいオリンピックは大きな存在なんだとあらためて思い知らされました。そして、またこの舞台に戻って来てリベンジしたいという気持ちでした。
オリンピック自体は慌ただしく終わってしまったのですが、オリンピックに出場したことで周りからの注目度が上がったことは確かです。どのレースでもオリンピアンとして見られることで、「負けられない」という気持ちが以前よりも増しました。それが自分の成長につながった部分もあるんじゃないかなと思います。
三浦 やっぱりオリンピックは選手にとって大きな目標とすべき特別な場所だなと思います。東京オリンピックの時は大会開催時点から逆算してトレーニングをしていましたし、次のパリオリンピックも、常にそこを意識した練習の仕方になってくると思います。パリの会場の雰囲気というのはその時にしか味わえないし、実際に行ってみないとわからない部分もあります。でも、これまでに世界大会もいくつか経験してきているので、東京オリンピックの時よりは耐性がついているんじゃないかなと思いますね。
――長門先生にお聞きしますが、指導者の立場から見たオリンピックとはどのようなものでしょうか。
長門 やはりオリンピックは指導者にとっても特別な大会です。塩尻選手は急遽呼ばれての出場で、三浦選手の時は通常開催ではなかったので、パリ出場が決まれば、そこで本来の意味での世界的なイベントとしてのオリンピックを初めて経験することになります。パリでは陸上競技の客席が満席になると思うので、その熱気を2人にはぜひトラックで味わってほしいですね。
オリンピックの陸上競技でメダルを取るのは至難の業ですし、とてもハードルの高いものです。三浦選手に関してはそこに近づいてきているので、メダルに向けてしっかり準備をしてもらいたい。オリンピック出場のチャンスは限られたものだと思いますので、ぜひパリの舞台でそのチャンスをものにしてほしいなと思います。
塩尻 2023年12月の日本選手権の結果が良かったので、その流れに乗って、まずはパリオリンピックの舞台に立つことが目標です。とはいえ、2023年の世界陸上5000mでは自分の力が出せなかったので、リオデジャネイロオリンピックと同じように、やはり世界の舞台で勝負するのは並大抵ではないということも痛感しています。僕自身、だいぶ年齢も上がってきているので、今後そう何回もオリンピックに挑むわけにはいかなくなるだろうなと思っています。それでもチャレンジして、しっかり取り組み続けることが大事だし、そうしなければ結果にもつながらない。今できることを精一杯やって、あとは本番でどれだけ勝負できるかいうところを突き詰めていきたいですね。
三浦 このところ世界大会などで着実にステップアップできていると思うので、パリオリンピックでは確実にメダルを目指していきたいです。その中でタイムにこだわらなければならない場面も出てくると思いますが、自分の持ち味を生かした走りをしながら勝負に勝つレースができればいいですね。オリンピックのような大きな大会で勝つためにはメンタルの部分も重要になります。大会までの間に「ここまで自分のパフォーマンスができている」と思えるような自信をつけておくことが、最後の後押しになるんじゃないかな。練習では、その辺りを磨いていくことも重要な課題です。
塩尻 パリオリンピックの選考に関して、10000mについては5月の日本選手権の辺りには決まるのではないかと思うので、そこまでしっかり練習を積み重ねていきたいですね。今のところ順調にトレーニングを消化できているので、コンディションは悪くないかな、と。
三浦 僕は日本選手権までに標準タイムを切れれば内定ということになります。2023年の世界陸上ダイヤモンドリーグも、確実にいけるなという手応えがあって臨んだわけではなかったんです。その時のレース展開や自分のペースで走れたかどうかなど、いろいろな要素が絡み合ってきます。自分で掴めるレース展開やペース配分であればいいんですが、それに対してタイムを出せるかどうかは自分の引き出しの多さにも関わってきます。標準タイムを切ることを一つの区切りとすれば、それ以降は勝負の世界の中でどこまで順位を上げられるかが求められる。優先順位で言えば、選考の期間はタイムで、そこをクリアしてからは順位ということになるんじゃないですかね。
長門 三浦選手に関しては、自己記録としては参加標準記録を既に超えているのですが、定められた期間内に突破しなければならないので、早い段階で突破して内定をもらって準備期間に充ててほしいですね。塩尻選手も実力のある選手ですから、リオデジャネイロの時のように急ピッチで仕上げてオリンピックに行くのではなく、じっくり準備をすれば本来の実力が発揮できるはずです。2人とも、パリの舞台で活躍できることを期待しています。
順天堂大学の卒業生には彼ら以外にも活躍している選手がいますし、チャンスがある選手もいます。そうした卒業生たちが順天堂大学OBとして世界に出て行ってくれると学生たちも「あの先輩たちのようになりたい」と思って目標にするでしょう。ぜひ、後輩たちが憧れるような選手になってほしいですね。私もより一層、選手に寄り添いながら、1人でも多くオリンピックに出られるようなレベルの選手を育てていきたいと考えています。あまり言うとプレッシャーになってしまうかもしれませんが(笑)。
年齢も個性も違う2人のトップアスリート
ーー2015年に順天堂大学に入学し、2019年に卒業した塩尻選手。一方、2020年に入学して今年2024年3月に卒業を迎えた三浦選手。年齢が異なるため在学中ほとんど面識はなかったそうですが、2人ともオリンピアンとなり、今や日本のトップを走る選手へと成長されましたね。
長門 塩尻選手には2年生の時にリオデジャネイロオリンピックを目指そうと言っていました。本人はそのあとの東京オリンピックの方が現実的では、と言っていたのですが、「いや、目指せるんだったら目指そう」と言って準備に入りました。その結果、インビテーションという形ではありますが、出場することができました。三浦選手には、高校時代にスカウトする際、その塩尻選手の事例も伝えながら、「今から東京オリンピックを目指すつもりでやったらどうか」という話をした覚えがあります。
三浦 僕は大学に入ってからも、高校時代から専門種目だった3000m障害で活躍したいと思っていました。既にその種目で結果を出してリオデジャネイロオリンピックに出場した塩尻選手の存在はやはり大きかったです。塩尻選手が練習していた順天堂大学の環境であれば、選手としてもっと成長できるんじゃないかなと思いました。
塩尻 半分お世辞だと思いますけど(笑)、高校時代から活躍していた三浦選手が自分の姿を見て入学してくれたというのは率直にうれしいですね。でも、今や三浦選手の存在に憧れて入学する高校生も多いと思いますよ。
三浦 僕が塩尻選手に憧れたみたいに、先を行く人の背中を追うように後輩が続いていく流れができているとしたらうれしいです。僕自身はただ競技を極めていくだけなので、あまり憧れられているという実感はないですけど(笑)。
長門 私から見ると、三浦選手と塩尻選手は全くタイプが異なる選手なので、それぞれの個性を大事にしながら指導をしてきたつもりです。三浦選手に関しては、3000m障害でいうとスピードを維持しながらハードルを越える技術が非常に高い選手だと思います。塩尻選手は高校生の頃から3000m障害が強かったのですが、長い距離もこなせるスタミナがあるので、大学ではむしろ他の種目にも目を向けてほしいと提案しました。マルチに活躍できる選手だと思ったので、そこに向けた指導を中心にしていましたね。
塩尻 その頃は、長門先生の提案もあって、どれかに絞るというより、とにかく出ることのできる試合は種目を問わず積極的に出て行ってがんばりたいという気持ちでした。若かったのかな(笑)。直近では10000mの種目に出場していますが、3000m障害から始まり5000mなど、さまざまな種目に挑戦してきたことが、大学卒業後から今に至る自分の走りにつながっていると思っています。今、パリオリンピックを視野に入れることができるのも、これまでさまざまな種目にチャレンジしてきた成果かなと思います。