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2019.05.23
W杯ポーランド戦のパス回しは「合理的」!? 競技への視点を変えるスポーツ数理科学とは?
順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科・スポーツ健康科学部教授の廣津信義先生は、スポーツに数理科学を応用する「オペレーションズ・リサーチ(OR)」の専門家として、さまざまな競技のデータ分析に取り組んでいます。ORの手法や過去の対戦事例の分析など、スポーツデータ分析の最前線をご紹介します。
研究対象としても興味深い「日本vsポーランド」戦
サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会「日本vsポーランド」戦の最後の10分間、西野朗監督はあえて攻撃をしない「パス回し」を選択しました。日本は0-1で負けていましたが、同じグループのセネガルもコロンビアに0-1で負けていたため、双方の試合がこのまま進めばフェアプレーポイントの差で日本の決勝トーナメント進出が決まります。ただし、セネガルが1点決めて追いつけば敗退。あくまでも「セネガルが得点しない」ことを前提にした他力本願な作戦選択で、スタジアムはブーイングの嵐。国内でも賛否両論が分かれた決断でした。このケースはORにおいても、大変面白いサンプルでした。
「パス回し」することで
進出の可能性が8%上がる!
サッカーの試合は「ポアソン分布」という確率分布で分析することが一般的です。「ポアソン分布」とは、交通事故のようにまれに起きる現象を確率的に表現するもの。サッカーのゴールもごく少ないため、「ポアソン分布」と親和性が高いのです。
私はまず、前述のW杯一次リーグの全試合のゴール数の推移を分析しました。すると、本気で戦ったときに日本が1点を取る確率は約12.3%。同様にセネガルが1点を取る確率なども計算し、双方の組み合わせをトータルで計算した結果、「0-1のまま試合が終わる可能性は80%」でした。
一方、「パス回し」をすると日本は得点も失点もなく、セネガルだけの問題になり、進出確率は88%に上がります。
試合結果は皆さんがご存じのとおり、日本の決勝トーナメント進出が決定しました。そして計算上でも、「パス回しをした方が8%進出の確率が上がる」と出たのです。
「ゲーム理論」から見える「パス回し」の合理性。
この試合を「ゲーム理論」で分析することもできます。「ゲーム理論」はおもに経済学で合理的な意思決定に使われる手法です。
前述の確率計算によると、日本はポーランドと本気で戦っても、80%の確率で決勝トーナメントに進むことができました。一方、ポーランドは日本戦の前にすでに2敗しており、日本に勝っても決勝トーナメントに進めない、つまり「利得ゼロ」の状況です。とはいえ3連敗して敗退するのは、どう考えてもマイナスが大きい。せめて勝ってマイナスの方がまだいいですよね。
「パス回しをする、しない」の選択ができる状況は、理論的にはポーランドにとっても日本にとっても同じです。しかし、勝っているポーランドがパス回しを始めたら、これは大ヒンシュクでしょう。反対に負けている日本がパス回しをすると、ポーランドはもう攻撃する必要がありません。3試合目の残り10分で、ポーランドの選手にもかなり疲労の色が見えました。そのような状況の中、日本が「パス回し」に入ったことで、完全に攻撃の運転軸を失いました。つまり、日本の作戦が「ポーランドのやる気を失わせた」とも言えます。
「ゲーム理論」からも「パス回し」は日本とポーランドの双方に利得があり、西野監督の意思決定は非常に合理的だったことがわかります。賛否両論ありましたが、結果として日本は決勝トーナメントに進出し、あの感動的なベルギー戦を戦えました。もちろん西野監督は詳しい確率数値をご存じなかったでしょうが、経験的に進出の確率差を感じ、決断されたのでしょう。
数値で証明された
スモールベースボールの力
ここまで説明した内容は、「オペレーションズ・リサーチ(OR)」と呼ばれる学問分野です。スポーツにおけるORの研究は、大きく以下の3分野に分かれます。
② 選手・チームの評価
③ 試合形式・ルール・日程の検討
前述した「ポアソン分布」と「ゲーム理論」は、①でしばしば使われます。②の評価手法として広く知られるのは、「セイバーメトリクス」です。
これは1970年代に米国で考案された手法で、当時は世界的にも「データでスポーツを読み解こう」という機運が高まった時代でした。当時の有名な研究に「“送りバント”は得点率に関与しない」というものがあります。野球を「27回アウトを取られる前に相手を得点数で上回る競技」と捉え、わざわざ1アウトを相手に捧げる「バントは最悪」というものです。ところが、我々が純粋に確率論から研究したところ、ある特定の場面でバントをすると勝利の確率が上がることがわかりました。極論を言えば、9回無死(ノーアウト)・ランナー1塁の時に4番バッターを迎えたとしても、「バントした方がいい」という結果が出ることもあります。
実際、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本は2回優勝していますし、イチローの活躍もあり、「スモールベースボール」の価値が米国でも認められるようになりました。「スモールベースボール」とは、ホームランに依存せずに、バントや盗塁といった機動力や小技を重視して、最少得点差で勝つことを理想とした野球の戦略のこと。豪快に投げて思い切り振り抜くだけが野球ではありません。ち密さも重要で、その点、日本のデータ収集能力や分析能力は世界でもトップクラス。ORを進めるためには現場のデータが欠かせませんが、日本のデータは圧倒的に精度が良いとよく耳にします。
ゼミで学ぶことで
複数の分析・評価手法を習得
現在、私のゼミには院生が2名、4年生が9名、3年生が13名所属しています。スポーツ健康科学部は理数系ではありませんが、私のゼミで1年間勉強すれば、前述の「ポアソン分布」「ゲーム理論」「セイバーメトリクス」などを使いこなせるようになります。分析・評価では複数の手法を使い、いろいろな指標から総合的に評価を進めていくことがオーソドックスなやり方。例えば次の「マルコフモデル」もよく扱われる手法です。
下の図は、サッカーの試合を「マルコフモデル」を用いて表現した一例になります。
【図】マルコフモデルを用いたサッカーの試合の表現の例
HGはホームチームが、AGはアウェイチームがゴールした状態を表しています。また、ピッチを1~9で番号付けした9つのエリアに分割し、Hp1、Hp2…Hp9はホームチームが、Ap1、Ap2…Ap9はアウェイチームが各エリアでボールポゼッションしている(ボールをキープしている)状態を表しています。
矢印は状態の推移を表しており、例えば、Hp1からAp1への矢印は、エリア1でホームチームからアウェイチームにボールポゼッションの状態が推移することを示しています。また、矢印には確率が紐ついており、矢印に対応する推移確率の変化が、ゴール数にどの程度影響を与えるかなどについて分析することが可能となります。
サッカーの目的はゴールを決めることですから、「マルコフモデル」を分析することにより、どのような戦術を選べばゴールの確率を上げることができるのか、考えるヒントになります。
ちなみに、私のゼミの学生は毎年、日本統計学会の「スポーツデータ解析コンペティション」に参加します。2018年度はフェンシングの映像データを103試合分、分析・分類し、ポスター発表で優秀賞を受賞しました。プレーの動き1つ1つを丁寧に拾うのは、とても根気のいる作業。そこを順天堂の学生は地道に一生懸命やっています。スポーツが好きでなければできないことで、これが順天堂の強みだと思います。
近い将来、監督やコーチがAIと戦う日がやって来る?!
今はサッカー選手一人ひとりにGPSを取り付け、細かな動きを含めた膨大なデータを収集できる時代です。これは世界的な課題なのですが、データが次々と集まってくるのに、膨大過ぎて分析が追い付かない。走行距離やスプリント回数など一般的なデータだけ拾って、残りは廃棄しているのが現状です。
そこで私はAI(人工知能)のディープラーニングを使ってビッグデータを分析する方法を研究しています。人には見抜けないパターンをAIはあっという間に抽出できますので、従来とは全く次元の異なるものが出て来るかもしれません。何が出て来るかはわからない。そこが研究の面白さでもあります。ひょっとしたら、そう遠くない将来、監督やコーチがAIと戦う時代が来るかもしれません。