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2019.04.26
"負けず嫌いの泣き虫"がスカッシュ界のエースに。日本のトップランナーが世界の頂点を目指す!
四方を壁に囲まれたコートでボールを打ち合うスポーツ「スカッシュ」。順天堂大学スポーツ健康科学部の机龍之介選手は、17歳3カ月で全日本選手権最年少優勝を果たし、2018年11月には5連覇を達成しました。大学卒業後は、プロスカッシュプレーヤーとして、本格的に世界の頂点を目指す戦いに挑みます。国内の頂点に立つまでの苦悩や挫折、順天堂大学での出会い、日本スカッシュ界のトップランナーとしての熱い思いを聞きました。
国際大会で感じた世界との差。悔しさが成長の糧に
―いつ、どのようなきっかけでスカッシュを始めたのでしょうか。
趣味でスカッシュを楽しんでいた両親の影響で、母のお腹にいた頃からコートに通っていたそうです。8歳年上の兄もスカッシュの選手で、家族全員がスカッシュ好き。初めてラケットを握ったのがいつだったか分からないほど、身近なスポーツでした。
初めて大会に出場したのは、5、6歳の頃。試合で泣きながらプレーしたことを、今でもよく覚えています。親に「泣かなかったらおもちゃを買ってあげる」と言われて出場したんですが、結局1点取られるだけで泣いてしまって…。年上の相手ばかりでしたから、「勝てなくて当たり前。泣かずに頑張れ」と励まされたのですが、自分では勝ちたくて仕方がなかったんです。小学4年生頃からは、すでに日本のトップ選手になっていた兄と一緒に練習し、兄の姿に刺激を受けながらスカッシュに打ち込むようになりました。
―選手として、本格的に競技に打ち込むようになった転機はありますか。
2011年の世界ジュニア選手権に、初めて日本代表として出場した時です。中学3年生の時でした。
その大会で日本チームは団体6位になり、過去最高の成績を挙げたのですが、僕自身は悔しい思いしか残りませんでした。スカッシュの団体戦は1チーム3人で戦いますが、僕はチームの4番手。大事な試合ではプレーすることができなかったんです。ほかの3人が活躍する姿を観ながら、自分も一緒に戦って勝ちたい、と強く思いました。しかし同時に、世界のレベルと自分の実力の差を痛感し、このままでは戦えないとも思いました。
その時から、日本のトップを目指すのはもちろん、世界の舞台を見据えた練習をするようになりました。
―世界との差は、どのような部分に表れていたのでしょうか。
全部です。動きのスピードも、ショットのコースも、全ての面でほかの国の選手の方が上でした。本当に何もさせてもらえなかった。「まだ自分は世界で戦うスタートラインにも立てていない」。そう感じて、とても悔しかったです。
僕自身、その大会までは、国内の年代別の試合ではすべて優勝していて、自分の力にそれなりに自信を持っていました。代表に選ばれたときも、世界でもきっといいプレーができるだろうと、根拠なく思い込んでいたんです。しかし、実際は全く歯が立たなかった。日本代表になったことがただ嬉しくて、ワクワクしながら大会に臨んでいたので、その分だけショックも大きかったように思います。
―最初の挫折ともいえる経験だったと思いますが、それを乗り越えて自分を高めていくために、どのようなことを変えていったのですか。
自分に何が足りないのか、何が必要なのかを考えながら練習するようになりました。
世界ジュニア以前から、兄には「考えながら練習しろ」と指摘されていたのですが、なぜ考えなければならないのかが理解できていなかった。世界のレベルを目の当たりにして初めて、「ただ強くなりたいと思うだけでは強くなれない。やみくもに練習するだけでは世界との差は埋まらない」とはっきり分かったんです。具体的にどこを強化すれば強くなれるのかを考え、練習とは別に、フットワークやダッシュのトレーニングメニューを増やしていきました。
「日本一」から始まった苦悩と努力の日々
―世界ジュニアの3年後、2014年には17歳3カ月全日本選手権を初制覇しました。史上最年少優勝を果たした時は、嬉しかったのではないですか?
少し懐かしいですね。その前年の全日本選手権は、本戦1回戦で敗退。正直に言うと、その成績を上回りたいとは思っていましたが、優勝まで視野に入れて臨んでいたわけではなかったんです。ですから、準決勝で憧れだった選手と対戦した時も、緊張や「勝ちたい」という気持ちより、こんなすごい選手と同じ舞台でプレーできるんだ、という興奮の方が大きかったと思います。
決勝戦では、日本一を決める場所に自分が立っていることが信じられない、という感覚でした。地に足が付いていなかったのか、3ゲーム先取の試合で2ゲームを失ってしまったのですが、友達や家族の応援に応えようと夢中でプレーし、逆転することができました。優勝した瞬間も、喜びよりも、やはり「信じられない」という思いで頭がいっぱいでしたね。
―そこから2018年まで5連覇を達成しています。その過程ではどのような苦労があったのでしょうか。
無我夢中で日本一になったその後が、これまでの競技人生で最大の転機だったと思います。
最年少優勝をしたことで、いろいろな方に注目していただけるようになりました。祝福の言葉もたくさんいただきましたが、「連覇してこそ実力」という厳しい声も届いていました。優勝したことで、追いかける側から追いかけられる側になり、過去にないプレッシャーを感じるようになったんです。
そこからの1年間は、前にも増して、どんな練習をすべきかを真剣に考えるようになりました。その日にやると決めた練習は必ずやり遂げることを自分に課し、一日一日を本当に大切に過ごしていたと思います。怠けたくなる時もあったのですが、誰にも負けたくないという気持ちを支えに、自分を律していました。やっぱり負けるのは何よりも悔しい。小さい頃から負けるのは大嫌いでしたから。
次の年の全日本選手権は、絶対に優勝するという強い気持ちで臨んだ大会でした。日々の練習で培った力は強い自信になり、緊張しすぎることもなく、思い通りのプレーをすることができました。2連覇できた瞬間は、初優勝の時の何倍も嬉しかったですね。1日も無駄にしないと誓い、1年間練習を積み重ねたこと。それが、プレッシャーに押し潰されることなく、2度目の優勝を手にできた理由だと思います。
意識を変えた他競技の選手との寮生活
―順天堂大学に進学した理由を教えてください。
進学先を考えていた時、順天堂大学スカッシュ部部長の柳谷登志雄先生(スポーツ健康科学部 先任准教授)や在校生の先輩のお話をうかがう機会があり、授業内容などを詳しく教えていただき、スカッシュの専用コートが新設されることも知りました。興味を持ったのは、ほかのスポーツについても学べること。大学で学んだことを自分の力にすれば、プレーにも良い変化が生まれるのではないかと考え、進学を決めました。強豪選手が集まるアメリカの大学への進学も検討していたのですが、アメリカ生活に必要な英語を勉強する時間もスカッシュの練習に充てていたい、という思いもあったんです。
大学で専門的な授業を受けていると、それまで知らなかった理論や知識、やってみたいトレーニング方法など、自分のプレーが変わるきっかけになる情報をいくつも見つけることができます。その中から、柳谷先生や日本代表のコーチとも相談しながら、自分に必要な練習を取捨選択していました。それまではがむしゃらにやっていた練習やトレーニングを、計画的、効率的に進められるようになったのは、大学での学びがあったからです。
―順天堂大学では、さまざまな競技のトップ選手が学んでいます。机選手が特に刺激を受けた選手はいますか?
大学に入学してからは視野が広がり、スカッシュ以外のスポーツの選手と自分を比べ、多くのことを吸収するようになりました。特に、1年生の時に寮で同室だった友人の犬塚渉(陸上競技部)との出会いで、僕の競技者としての意識は大きく変わったと思います。
犬塚は、日々食事の時間や量に気を配り、入念に身体のケアをし、生活の中でもアスリートとしての意識を高く持っていました。僕はすでに日本一のタイトルを取って入学していましたが、そのタイトルが少し恥ずかしいと思うぐらい、意識の部分では犬塚に後れを取っていたんです。世界で戦うためには、練習以外の時間も自分の身体と向き合うことが必要なんだと痛感し、自分の生活も変わりました。より高いレベルでプレーできる体を作ろうとする意識も生まれました。犬塚と同じ部屋で1年間生活したことは、僕にとってとても刺激的でしたし、大切な経験になっています。
―世界のスカッシュ事情を教えていただけますか?
スカッシュはイギリス発祥のスポーツなので、ヨーロッパでは昔から盛んですし、アメリカではカレッジスポーツとして注目され、強化に力を入れる大学が増えています。強豪選手を多く輩出しているのはエジプトですね。過去にスカッシュを趣味としていた大統領が競技に注力していたようで、国を代表するような人気スポーツになっています。
日本ではまだ競技人口も少ないのですが、海外のプロトーナメントに出場すると、平日の夜でも仕事終わりに観戦に来る人も多く、人気のスポーツなんですよ。
―国内の選手は、普段どのような環境で練習をしているのでしょうか。
日本にはまだナショナルコートがなく、スカッシュ専門のクラブも多いとはいえません。スカッシュコートを備えたスポーツクラブはありますが、時間制限があったり、一般の利用者の方と譲り合って利用しなければならなかったり、選手が集中して練習するのがなかなか難しい場合もあります。
僕自身は、主に大学のスカッシュ専用コートを使っているので、自分のスケジュールに合わせて、ストレスなく、集中して練習することができています。同じ建物の中にはアスレティックトレーニングルームもあり、練習環境としてはとても恵まれていますね。自分で組み立てた通りに毎日練習できることが、大会での結果に繋がっていると思います。
「スカッシュ界の錦織圭」と呼ばれたい
―すでに国内では敵なしの机選手ですが、世界の舞台で戦うために強化していきたいポイントはどこでしょうか?
今取り組んでいるのは、無駄な動きをなくすことです。テンポの速いラリーで相手を崩していくのが僕のプレースタイルなのですが、試合終盤になると、どうしてもスピードをキープできなくなってしまう。それは、ショットを打った後の動きに無駄があり、相手のショットに対する動き出しが遅れ、体力を消耗してしまうからです。
わずかな動きの無駄も、疲労が蓄積する試合終盤には、大きな差になって表れます。持ち味であるラリーのテンポを上げ、最後まで速いラリーを続けるためには、ロスのない動きが欠かせません。より速い展開で試合を進められる力が付けば、上のレベルの選手とも対等に戦えると考えています。自分のプレースタイルを磨き、世界で通用するものにするために強化を図っているところです。
―最後に、これからの目標を教えてください。
来春、大学を卒業した後は、海外に拠点を置き、本格的にプロスカッシュプレーヤーとして活動するつもりです。2017年にプロ登録をしていますが、大学の授業を優先していて、まだ出場した試合はそれほど多くありません。スカッシュのプロツアーは、テニス同様、獲得ポイントによって出場できる大会のランクが決まります。そのため、今年1年間は出場数を増やして結果を残し、ポイントを獲得して来年に繋げたいと思っています。
将来的な目標は、もちろん世界のトッププレーヤーになること。同じラケット競技では、テニスの錦織圭選手や大坂なおみ選手、バドミントンの桃田賢斗選手など、世界の頂点で戦う日本人選手が誕生しています。僕もその後に続き、日本中に応援してもらえるスカッシュプレーヤーになりたいです。また、僕が活躍することでスカッシュがメディアにも取り上げられ、競技の普及にも繋がってほしいと考えています。
「スカッシュ界の錦織圭選手」と呼んでもらえるように、世界の舞台で闘い、結果を残していきたいですね。