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2019.10.17
スポーツ社会学を通して考える 障がい者スポーツとパラリンピックのあり方とは―?
東京パラリンピック2020の開催を間近に控え、障がい者スポーツにかつてない注目が集まっています。順天堂大学スポーツ健康科学部の渡正准教授は、スポーツ社会学を通して障がい者スポーツとパラリンピックのあり方を研究する、この分野の第一人者。メディアが伝える超人ストーリーや感動ドラマとは一味違う、障がい者スポーツの魅力と課題について語ります。
「人」ではなく「社会の構造」から
障がい者スポーツにアプローチ
現在、順天堂大学スポーツ健康科学部で「スポーツ社会学」を教えています。「スポーツ社会学」とは、スポーツを社会現象や文化として理解し、個人の属性や個性ではなく「社会のあり方」から考察する学問です。「社会」とは、人と人との関係性で成り立つもの。例えば体罰教師の問題が起きると、一般的には教師の個性に着目しがちですが、スポーツ社会学では「教師と生徒のどのような関係性が暴力を生んだのか」を考えます。つまり、「人」ではなく「社会の構造」からアプローチし、問題提起するのが私たちの学問です。
障がい者スポーツの研究も、スポーツ社会学と同じ文脈で考えることができます。障がい者の属性や個性ではなく、「なぜその人に“障がいがある”とされてしまうのか」に着目するのです。例えば下肢に障がいのある人ならば、車いすを使って移動できるようにすればスポーツができるかもしれません。段差が多くて車いすで体育館に行くことができないのならば、段差を解消してみたらどうでしょうか。階段をスロープに替えることで、障がい者だけでなく高齢者も、ベビーカーを押す子育て世代も使いやすくなるでしょう。そうしていくことで「障がい」とされるものは減らしていくことができる。このように社会全体を広い視野で捉える姿勢が、障がい者スポーツを考察する上では不可欠です。
決して順調ではなかった
パラリンピック発展の歴史
では、障がい者スポーツはこれまでどのような経緯を辿って発展してきたのでしょうか。
現在のパラリンピックの源流とされているのが、1948年に英国ストーク・マンデビル病院で開催されたアーチェリー大会です。当時、同病院には第二次世界大戦に従軍し、脊椎損傷を負った傷痍軍人が多く入院しており、彼らのリハビリを担当していたルートヴィヒ・グッドマン医師が社会復帰のためにスポーツを活用しようと企画しました。その後もストーク・マンデビル競技大会は続きましたが、1960年に初めてオリンピックと同じ開催地(イタリア・ローマ)で行われることになりました。この大会がのちに「第1回 夏季パラリンピック」と呼ばれるようになります。
1964年にもオリンピック開催地の東京で行われることになりましたが、これをきっかけに日本国内でも選手団が結成され、国内でも障がい者が初めて「スポーツ」と結びつけて捉えられるようになりました。そして翌年には、健常者の国民体育大会に当たる現在の「全国障害者スポーツ大会」も始まっています。
このように説明すると、1964年の東京パラリンピック以降、障がい者スポーツが順調に発展してきたように見えますが、実はそうではありません。1964年パラリンピック東京大会は、障がい者とスポーツを結びつけるきっかけにはなったものの、その後の社会的影響力には疑問が残ります。障がい者スポーツが今ほど市民権を得るようになったのは、1998年に行われた冬季パラリンピック長野大会以降でしょう。
改めて障がい者スポーツの歴史を振り返ると、そもそもの発端が戦争であったことがわかります。日本ではあまり知られていませんが、紛争のある諸外国では今でも傷痍軍人がリハビリのためにスポーツを始めるケースが多いのです。パラリンピックもまた世界平和を考える大会であることを、私たちは決して忘れてはなりません。
パラリンピックの3つの課題とは
現在、メディア報道で空前の盛り上がりを見せているパラリンピックですが、私は3つの課題があると考えています。
1つ目は、パラリンピックの競技がすべての障がい者をカバーしていないこと。パラリンピックは、すべての障がい者を代表する大会のように思われがちですが、現在の競技内容は肢体不自由者、視覚障がい者、知的障がい者に限定されており、聴覚障がい者や精神障がい者は含まれていません。パラリンピックだけでなく、聴覚障がい者や精神障がい者には別の大会があるということも、メディアを通してもっと伝わればと思っています。
2つ目は、「エイブリズム(ableism)」の問題です。「エイブリズム」とは、「“できない”よりも“できる”」ことに絶対的な価値を置き、人々を価値づけていく考え方です。スポーツには勝ち負けがつきものですが、できなかったことを克服し、勝利を目指して頑張る障がい者だけが素晴らしいとされてしまうと、スポーツをしない・できない障がい者が置いてけぼりにされてしまいます。“自分一人でできない”ということが心の重しになってしまうこともあるでしょう。世の中にはスポーツが嫌いな人もいれば、さまざまな理由でできない人もいます。そして障がいの種類や程度も百人百様です。自分一人ではできなくても、助けがあればできる人もたくさんいる――そこに気づくことが大切だと感じています。
3つ目は、障がい者の雇用促進に関わる問題です。昨今、企業でもパラアスリートの雇用が進んでいますが、一般的な障がい者から見れば、パラアスリートはまるで「別世界の超人」。でも、障がい者を雇用する企業は、段差も難なく一人で越えられるようなパラアスリートを基準に考えてしまいがちです。これによってバリアフリーなどの環境整備が後回しになる現象も実際に起きています。
障がい者スポーツから
社会のあり方や多様性を考える
私がパラリンピックの課題を研究し、学生に教えているのは「スポーツの持つ力」や「障がい者の持つ力」が当事者にしか伝わっていない現状があるからです。さらには、学生の視野を広げ、多様性を考えるきっかけにもなると思っています。
障がいの種別や程度は実に多種多様。そのためパラリンピックでは競技種目も細かくクラス分けされています。そしてその際、どの人をどのカテゴリーに分類するべきか検討することは、社会のあり方を考えることにもつながります。
例えばブラインドサッカーは「目が使えないのにサッカーができるなんてスゴイ」と思われがちですが、そもそも健常者のサッカーも「手を使わない」という大きな制限のもとで行われているもの。にもかかわらず、ブラインドサッカーで「目が見えないこと」のみが賞賛されるのはナンセンスではないでしょうか。「“障がい”ではなく“ルール”だから」――このような切り口からも、スポーツを語る「新しい視点」が見いだせると思っています。
イベントや体験会で障がい者スポーツを体感!
学生が子どもたちに指導も
本学部の学生には座学で学ぶだけでなく、実際に障がい者スポーツに関わる機会も多く用意しています。
2018年1月、順天堂大学は一般社団法人日本ゴールボール協会と一般社団法人日本ボッチャ協会のそれぞれの団体と連携協力協定を締結しました。両競技の強化・普及活動を通して指導者を養成することを目的に、千葉県印西市・佐倉市の小中学校で体験授業を実施。学部生・院生に指導員として参加してもらっています。ほかにも2018年6月には、順天堂医院小児病棟に入院中の子どもたちのためのボッチャ体験会や、今年も「パラスポーツフェスタちば2019」をはじめ、自治体と連携した障がい者スポーツイベントでの活動など、さまざまな機会を提供しています。
関連リンク
・順天堂医院小児病棟に入院する子どもたちが「ボッチャ」を体験
https://www.juntendo.ac.jp/news/20180702-01.html
・スポーツボランティアの学生がパラスポーツ「ゴールボール」を小学生に指導【Report】
https://goodhealth.juntendo.ac.jp/sports/000044.html
・パラリンピック東京2020の先を見つめて。障がい者スポーツ同好会で活躍する学生たち【Interview】
障がい者スポーツに初めて触れる学生は皆、「こんな面白さがあるんだ!」と純粋にスポーツの楽しさに気づくようです。やがて学びが進むにつれ、「スポーツで社会を変えたい」という「ソーシャルチェンジ」の発想を持つようになり、さまざまなスポーツのあり方を考えるようになります。とくに本学部の学生は卒業後に教員になる人が多いため、こうした経験が将来、教育の現場で大いに役立つと思っています。スポーツ健康科学部では、学生たちが自発的に立ち上げた「障がい者スポーツ同好会」も活発に活動しています。
人との「違い」を考えなくてもいい
「共生社会」を目指して
私たちが生きていく社会は、多様な人々がともに暮らす社会です。そこには異なる属性や個性を持つ人々がおり、それぞれの違いを「顧慮する(相手に配慮して行動する)」ことが求められています。障がい者スポーツは「共生社会」を考えるとき、大いに参考になるコンテンツです。
私たちが目指すべきは、違いに「顧慮」した上で、「その違いを気にせずとも生活できる社会」です。そのためにも、まずはどんな「違い」があるのか深く知り配慮する必要があるのです。
社会学には、「障がい者は社会によって作られる」という言葉があります。学生にはこの言葉の意味を深く考え、社会へ羽ばたいてもらいたいです。