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2023.11.15
工学的アイデアの宝庫である生体機能を利用してバイオセンサを開発
生物が持つさまざまな機能を工学的に模倣や利用する「バイオエレクトロニクス」という研究分野があります。生体機能の中でも化学物質への反応にフォーカスして、新しいデバイスの開発やこれまでにない原理の計測技術開発など、様々なバイオエレクトロニクスに関する研究をしている順天堂大学医療科学部臨床工学科の六車教授に、バイオエレクトロニクスの今と将来について聞きました。
「生物」と「電子工学」が融合したバイオエレクトロニクス
――バイオエレクトロニクスとはどのような研究分野ですか。
「バイオ(生物)」と「エレクトロニクス(電子工学)」を結びつける研究分野を「バイオエレクトロニクス」と呼び、最先端の例では目に入れる人工視覚チップや義手義足の生体信号による制御などがあります。
生物の持つ機能は工学的に見てアイデアの宝庫です。呼吸によって体外に熱を放出する仕組みや、脳が電気信号を介して体を動かす指示を出しドーパミンなどの化学物質を分泌して働きを制御していることなど、例を挙げればきりがないほど、生物はエレクトロニクス技術の新たな発展のカギを握っているのです。
そのような生物の優れた機能を模倣または利用したデバイスやシステムの開発に取り組み、医療・環境・エネルギーなどの諸問題を解決することがこの分野の特徴であり、サステナブルな社会の発展に貢献することを目指しています。
――その中で、先生はどのようなものにフォーカスした研究をされていますか。
私は嗅覚や味覚のように物質の種類を瞬時に識別する分子識別機能に関心があり、化学物質に反応するバイオセンサの開発に取り組んでいます。
最新の研究成果としては、単層カーボンナノチューブ(CNT)というとても薄くて頑丈な材料を利用して、患者さん自身が血糖値や*1ケトン体などの数値を計測できるバイオセンサデバイスを開発しました。CNTというのは、炭素原子のみで構成されている*2ナノメートル単位の大きさしかない極めて細い円筒状の材料です。伝導性や耐久性に優れており、電子機器や電池、自動車、医療機器などに使用されています。
この研究では、単層CNTを使って、酵素反応によって生じる電子を直接取り出し、酵素反応の量を計測する仕組みを開発しました。
*1 ケトン体 … 脂肪の合成や分解における中間代謝物。糖質が利用できない時の代わりのエネルギー源
*2 ナノメートル … 1mmの100万分の1の大きさ。髪の毛(約100マイクロメートル)の10万分の1の大きさ。
単層CNTを利用した新たな原理のバイオセンサ
――単層CNTをバイオセンサに利用することのメリットはなんでしょうか。
従来の計測方法では、『電子伝達媒介物質』というものを使い、酵素と対象物質が反応した時の電子を数値化することにより計測していました。しかし、『電子伝達媒介物質』は保存期限が3か月程度と短く、その期限を過ぎると適切な計測ができなくなり、健康被害につながるリスクがあります。
その点、単層CNTを使った計測方法は保存期限がなく、より安価で安全に、高性能なセンサ特性を発揮することができるのです。
また、なにより単層CNTはナノ単位の大きさですので、今まではできなかった1.5ナノメートルほどしかない『酵素の溝』に潜り込み、直接電子を伝達するということが可能になりました。
――開発されたバイオセンサデバイスは、今後どのように応用されるのでしょうか。
考えているのは、血糖値(グルコース)、ケトン体、尿酸値といった体液成分の計測での応用です。例えば血糖値の管理が重要な糖尿病患者さんの場合、1型糖尿病の患者さんは、食後に投与するインスリン量を決めるための自己測定ができます。
まだ実用化には至っていませんが、私たちが開発したセンサデバイスは使用有効期限がなく、従来に比べては安価となるため、透析治療中の患者さんの血糖値の計測をはじめ、2型糖尿病、境界型など、より多くの人が簡便に血糖値を自ら計測できるようになります。同様に、ケトン体や尿酸値などの計測も手軽に行えるようになるため、結果として社会全体での生活習慣病患者の減少、医療費の抑制などへの貢献ができると考えています。
医療現場のニーズからヘパリン量を計測する人工抗体を開発
――単層CNTを利用したバイオセンサ以外に、どのような研究を行っていますか。
抗凝固(血液を固まりにくくする)作用のあるヘパリンの量を測定するバイオセンサを研究しています。この研究では、人工抗体と呼ばれる分子認識高分子を鋳型重合法で合成し、鋳型分子で対象物質の器質の形を認識させます。測定したい対象物質はカギのようなもので、そのカギにピッタリ合う鍵穴となる鋳型分子を人工的につくりだすという仕組みです。
――この研究はどのような発想から生まれたのでしょうか。
アイデアのきっかけをくれたのは、共同研究を行っていた高度救急救命センターの医師です。私たちがターゲットとした低分子ヘパリンは、血液本来の性質は変えずに血液を固まりにくくする物質で、ヘパリンのように出血を促さないので、軽度の出血傾向のある患者さんが透析治療を受けるときに投与します。透析で体外に出した血液は固まりやすくなるので、低分子ヘパリンを投与して固まりにくくするのです。しかし、この投与量が難しく、血液が固まりすぎても出血が促されすぎても危険なのです。血液中でのヘパリン量を即時的にモニタリング(ベッドサイドモニタ)することができれば、効果的かつ安全に投与できるのですが、現時点では即時モニタリングする測定法がありません。そこで、低分子ヘパリンに特異的に結合する人工抗体を作り出し、モニタリングする方法を開発しました。この人工抗体はほかの物質にくっつけることも可能で、これまでにないバイオセンサデバイスへの発展が考えられます。
また、CNTや酵素を製造するメーカー、研究機関とも今まで共同研究をたくさん進めてきました。今後はさらに医療系研究に注力していきたいと考えており、医療機器メーカーや研究機関との連携はもちろん、本学医学部や附属病院ともより連携しながら研究をしていくことで、クリニカルクエスチョンと呼ばれる医療現場のニーズからより多くの研究テーマを見つけていければと思っています。
“研究できる臨床工学技士”の育成にも注力
――臨床工学技士はあまり研究を行わない印象でした。
研究している臨床工学技士の方は少なくありませんが、医局の医師が主導で行っていて表面に出てこないというのが、私の印象です。人工心肺や人工透析、心臓カテーテルなど、病院内のさまざまな医療機器を扱う臨床工学技士は、臨床の最前線で患者さんの命に関わる大切な仕事です。本学の医療科学部臨床工学科でも知識や技術の習得が中心で、現時点では研究に関わる機会はあまり多くありません。
しかし、臨床工学技士が基礎的な研究を主体的に行うようになれば、新しい治療法や診断法を開発して医療に貢献することができます。数は少ないのですが、臨床工学技士が開発した治療法が臨床使用されている例もあります。その事例を増やすため、本学では研究をすることが当たり前の環境にしていきたいと思います。
また、臨床工学科の生徒は将来臨床工学技士になる勉強をしていますが、工学を学んだことで身につく工学的な基礎知識はほかの職種でも役立ちますし、自ら進んで学ぶよう、勉強する習慣を身につけてほしいと思っています。
――将来的に実現したい研究テーマはありますか。
やはり生体の五感を模倣した、人工嗅覚や人工味覚といったバイオセンサですね。とはいえ、人工嗅覚や人工味覚はまだ実現にはほど遠く、たとえ技術的に可能になったとしても、時間やコストの面で課題が山積しています。それだけ生体システムは高機能だということです。
それでも嗅覚や味覚を持つロボットを作ることができれば、さまざまな応用展開が考えられますので、少しずつであっても研究を進めていくと同時に、同じ目標を持った後進の育成にも励んでいきたいと思っています。