SOCIAL

2022.08.01

誰一人取り残さない医療のために。ろう者と医療機関の壁を取り除く順天堂の取り組み

03.すべての人に健康と福祉を

社会には今、障害、言葉の違い、SOGI(性的指向や性自認)など、さまざまな理由で医療にアクセスしにくさを感じている人がいます。順天堂大学では、そうした人々が直面する困難を取り除き、すべての人がアクセスしやすい医療機関、誰ひとり取り残さない医療を目指すさまざまな取り組みが進んでいます。今回ご紹介するのは、ろう者が医療機関で遭遇する困難を理解し、それに寄り添える医療者育成を目指した取り組みです。

独自の言語としての「手話」

聴覚の障害は、見た目では分かりにくい障害です。生まれつき聴こえないろう者や聴こえにくい難聴者もいれば、日本語の文章力、発音には問題のない中途失聴・難聴者もいます。生活の中のさまざまな場面で音声による情報を得たり発信したりすることが難しく、社会の中でコミュニケーションが阻害されている状態にありますが、そのこともまた気づかれにくい状況に置かれています。
ろう者のコミュニケーション手段として、多くの人は手話を思い浮かべます。しかし、日本のろう者が使う「手話言語」が、独自の文構造や文法をもち「日本語」とは異なる独自の言語であることは、あまり知られていません。

独自の文構造や文法をもつ「手話言語」

コミュニケーションの壁が生む医療格差

手話言語と日本語の違いから生じる情報格差は、生命や健康に関わる医療機関でも生じます。医療機関では、以前からろう者とのコミュニケーションに筆談ボードが使われてきました。もちろん筆談でやり取りできる場合もありますが、複雑で長い文章になると理解しにくくなります。そのため、手話通訳者を交えたコミュニケーションが不可欠なのですが、簡単な日本語の文章が書けるだけで「日本語が使える=手話通訳はいらない」というイメージを持たれてしまうこともあるといいます。
また、手話通訳者が常に医療機関に同行できるとは限りません。ろう者だけで診察を受ける場合、多くの人が最初に直面するのは、受付で名前を呼ばれても気づかず、順番を飛ばされてしまうかもしれないという問題です。診察室に入っても、筆談だけで自分の症状を伝えたり、医師の説明を正しく理解したりすることが難しく、不安を抱えたまま診察を終えてしまう人もいます。ここ数年はコロナ禍で医療者がマスクを着用しているため、口元の動きから言葉を読み取ることはもちろん、話しかけられていることさえ気づかないという状況も続いています。

 

一方、医療者側も、患者さんの症状や体調を正確に把握することができなければ、的確な治療が行えません。コミュニケーションがうまく取れない状態が続くと、ろう者自身が受診を控えてしまい、病気が悪化してしまうことも考えられます。社会的要因と健康格差について研究する医学部医学教育研究室の武田裕子教授は、言葉やコミュニケーションの壁は、重大な健康格差を生む原因になると言います。

武田裕子教授

「医療機関でろう者が直面している困難は、うかがってみるとどれも確かに起こるだろうと思うことばかりです。だからこそ、そのことに気づける医療者がひとりでも増えることが必要だと感じています」(武田教授)

 

社会では、手話言語への理解を広げる動きも少しずつ見られています。手話を使いやすい環境の整備をめざす「手話言語条例」が全国各地の自治体で制定され、東京都でも2022年6月議会で都道府県では34番目となる手話言語条例が可決・成立しました。また、国でも、2021年7月から、通訳オペレーターを介して聴覚障害者等とそれ以外の者を電話でつなぐ「電話リレーサービス」も始まっています。このサービスは「聴覚障害者等による電話の利用の円滑化に関する法律」に基づく公共インフラとして制度化されたもので、ろう者側が事前登録をしていれば、24時間365日、ろう者と聴者の双方から利用することができます。しかし、こうした制度も医療現場にはあまり知られていません。医療者には、ろう者の現状や手話言語の特性を理解して、こうした制度も活用しながら情報を分かりやすく伝えるために必要な配慮を行うことが求められています。

 

【関連リンク】

「電話リレーサービス」公式サイト:https://nftrs.or.jp/

ろう者が医療現場で感じる困難を理解するために。学生が講演会を企画

ろう者が医療現場で感じている困難を多くの医療者に知ってもらおうと、順天堂大学では医学部医学教育研究室の基礎ゼミナール参加学生が講演会を企画しました。東京都聴覚障害者連盟の唯藤節子副会長を講師に迎え、医療機関の現状や医療者に望まれる対応を学ぶ講演会を6月に開催。医学部以外の学部や附属病院からも多くの参加者が集まりました。講演後には、参加した学生や教職員、看護師や病院事務職員から「当事者であるろう者の方から具体的なお話をうかがったのは初めて」「部署内で相談してできることを考え、広げていきたい」「手話を学びたい」といった感想も寄せられました。講演のなかで指摘された入院前日の連絡法も、電話だけでなくファックスを用いるなど柔軟な対応の申し合わせが早速になされました。講演会を企画した学生のひとりは「講師の唯藤さんが話していた、“すべてを筆談や通訳者で済ませるのではなく、伝えようとする医療者の気持ちが嬉しい”という言葉が印象に残りました。医療者の寄り添う気持ちが、病院を安心して受診できることにつながるはずです」と言葉に力を込めます。

東京都聴覚障害者連盟の唯藤節子副会長を講師に迎えて行った講演会の様子

「やさしい日本語」はろう者や手話通訳者にもやさしい

講演会で、唯藤氏は、筆談の際は簡潔な文章にしてほしいと言われていました。武田教授は、近年、外国人に情報を分かりやすく伝える手段として普及が進む「やさしい日本語」が、ろう者とのコミュニケーションにも役立つと言います。難しい単語やあいまいな表現を避け、短く簡潔な文章を用いたり、擬音語・擬態語などのオノマトペを避けるといった配慮は、ろう者の理解を助け、手話通訳も容易にします。医療現場に「やさしい日本語」が広がることで、ろう者・手話通訳者・医療者が互いに多くの情報をスムーズにやり取りできるようになり、より適切な治療につながることが期待されます。

【関連リンク】

医療で用いる「やさしい日本語」動画:https://youtube.com/playlist?list=PLFwRLsRI_gpDgJMNrFIbkZJ13xU-DeWA8

ろう者とのロールプレイで学ぶ「手話の病院」

医学教育の一環として、医学教育研究室の基礎ゼミナールでは、ろう者と医療者のコミュニケーションをロールプレイで学ぶ「手話の病院」を実施しました。米国ロチェスター大学医学部で行っている「Deaf Strong Hospital」を参考にして行った、本邦初の試みです。実施に際して、この教育法を紹介してくださった筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターの大杉豊教授に加え、同大の小林洋子講師と大学院生、薬剤師でNPO法人インフォメーションギャップバスター(IGB)理事の吉田将明さんはじめ、ろう者や手話話者の協力を得ました。

 

手話の病院 - Deaf Strong Hospital -

「手話の病院」では、ろう者が医療者役、学生が患者役となり、病院の受付、診察室、薬局の3つの場面で手話言語を使って必要な情報をやり取りしなければなりません。学生たちは、指文字や手話言語の基本的な表現を調べて臨みましたが、受付職員や、医師、薬剤師役のろう者と十分にコミュニケーションを図れず、「必要な薬をもらえなかった」「途中で半ばパニックになった」と話す学生もいました。今回、「手話の病院」では、筑波技術大学の大学院生が「手話通訳者」役として協力してくれました。言葉が通じにくい状況において、通訳者の存在がコミュニケーションをどのように変化させるか、情報量や接しやすさに違いがどう生じるかを体験するためです。処方薬の説明がわからず不安な面持ちの学生の前に手話通訳者が現れて通訳が行われると、参加した学生からは「日本語が聴こえた時は本当に安心した」「必要な時に医療通訳者をいつでも呼べる体制の重要性と必要性を身に染みて感じた」という声が上がりました。一方で、薬剤師役を務めた吉田さんも「医療者役の私自身も、ちゃんと伝わっているのか不安に感じながら対応していたので、通訳者がついてくれた時の安心感は、学生さんと同様に大きかったです」と話します。情報の適切なやり取りは、医療安全の面からも不可欠です。患者の立場でも医療者の立場でも、通訳者の存在が欠かせないことを再認識した瞬間になりました。

手話を使って医師とのやり取りを試みる学生(右)
手話通訳者(右から2番目)が入って行われた処方薬の説明

今回の『手話の病院』のロールプレイを経て、「ろう者の方々がこんなにも不安な気持ちで病院を受診しているのだと、初めて知りました」と学生のひとりは話します。指導に当たった武田教授は「学生たちには、将来、自分たちが医師になった時に患者さんに対して求められる配慮や行動について、考える機会となりました。医療者役で協力してくれた大杉先生や小林先生は、医療者育成の卒前教育の中で、ろう者に目を向ける試みはとても意義があると言われていました。ろう者への配慮の多くは、他の患者さんたちに対しても共通するものです」と手応えを語り、医療系学部や卒後教育への応用も視野に、継続的な実施を検討しています。

「手話の病院」のロールプレイ終了後、学生と参加者全員で行った振り返りの様子

【関連リンク】

言葉が通じない状況で医療機関を受診するとは、どんなことなのか?順天堂大学が授業で「手話の病院」を初実施。ろう者が抱える困難を医学生が体験(プレスリリース)

URL:https://www.juntendo.ac.jp/news/20220801-02.html

インクルーシブな対応が安全で安心な医療をつくる

ろう者への配慮は、その他のさまざまな患者さんにとっても受診しやすい環境をつくると武田教授は強調します。

「たとえば簡潔な表現を用いる、図で示すなど、ろう者に分かりやすく伝える工夫は、加齢や病気により聴こえにくくなった方、理解力が低下している患者さん、子どもさんにも役立つものです。不安を感じ緊張しているだけで、説明が頭に入らなくなるというのは、誰もが経験するところではないでしょうか」(武田教授)

 
さらに、手話言語が手の動きだけでなく、表情や姿勢からも情報を読み取ることを、『手話の病院』のロールプレイで知ったと言います。

「医療者も、同じくらい相手をしっかりと見ることができれば、多くの気づきを得られると今回学びました。私たちは、常に患者さんから教えられると言いますが、異なる言語やそれを生み出す文化から得るものがたくさんあるとあらためて感じました。医療者が今できるのは、想像力を働かせて困難に気づくこと。『理解できているだろう』と思い込まず、困難を知ることから始めることです。相手に伝えたい、相手を理解したいという姿勢は、患者さんの信頼につながります」(武田教授)

 

あらゆる人に安全で安心な医療を届けられる医療人の育成、さらに誰も取り残さない“インクルーシブ”な医療をめざして、一歩ずつ取り組みが広がっています。

<取材協力>

順天堂大学医学部医学教育研究室 武田裕子教授

筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター 大杉豊教授、小林洋子講師

NPO法人インフォメーションギャップバスター(IGB) 吉田将明理事

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