PICK UP!

2024.07.18

順天堂リレーエッセイ【Jバトン】第7回 「2つの大阪万博」

リレーエッセイ「Jバトン」は第7回を迎えます。前回は、加藤 洋一 大学院国際教養学研究科長(前国際教養学部長)に、「卒業生に贈る言葉」を綴っていただきました。 今回は、京極 伸介保健医療学部長にバトンが渡り、1970年大阪万博から現在までの変化について記していただきました。

来年2025年に大阪で万国博覧会、いわゆる大阪万博が開催されます。新型コロナウイルス感染症の蔓延や新年早々の能登半島地震、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃などの国内外の情勢の悪化に加え、物価上昇や人手不足などの影響を受け、各国パビリオンの建設が開催に間に合うのかという懸念があり、世間の関心も今ひとつという印象ですが、個人的には非常に楽しみにしているイベントです。

過去、本邦で行われた万博といえば1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博、1985年のつくば博、1990年の花博、2005年の愛・地球博がありますが、私の記憶に強く残っているのは、今から半世紀ほど前に開催された大阪万博です。当時小学生だった私は、大阪の大学に通う従兄弟のアパートに転がり込み、2泊3日ほどの万博ツアーを楽しんだのでした。高度成長期の真只中の日本で『人類の進歩と調和』をテーマとして、30年後の21世紀にはこんなモノが実用化され便利な暮らしができているだろう…といった展示が所狭しとされ目を奪われた記憶があります。今では当たり前に目にするコードのない無線電話やテレビ電話、自動運転の電気自動車、動く歩道、ウォシュレットなどです。米国パビリオンではアポロ11号が持ち帰った『月の石』が展示され、将来の宇宙旅行の可能性を感じました。医療の年表と重ねてみると、丁度、順天堂の和賀井先生の開発された超音波診断装置が試作機から実用機へと転換する頃、数年後にX線CT装置が発明される頃と一致します。

1970年大阪万博 当時の様子

今や21世紀となって四半世紀が過ぎ、あの頃夢見ていたほとんどの物が発展し実用化されてきました。電話機は掌に収まるスマートフォンとなり、世界に向けての情報発信も可能です。自動運転の電気自動車や動く歩道は社会に実装化され、ウォシュレットも広く普及しています。テレビも壁にかける絵画のようになりました。宇宙旅行も間もなくでしょうか?

超音波診断装置はより高精細となり、小型化や3D/4Dエコーも実現、CTも高速かつ高精細となり、拍動し続ける心臓・冠動脈の撮影も可能となりました。遅れて開発されたMRIも日常診療になくてはならない診断機器として活躍しています。

今後はどうなっていくのでしょうか?
我々の世代が経験したドラマチックな変化・革新はあるのでしょうか?
その鍵を握るのは、あなたたち若い世代です。
今や国境を越えてリアルタイムにやりとりが出来る時代です。世界とリンクしながら、あっと驚くような、そして持続可能な未来を作りあげてください。

※本記事は学内報「順天堂だより」334号(2024年5月号)の「Jバトン(第7回)」の記事をもとに再構成したものです。記事の内容は掲載時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
この記事をSNSでシェアする

Series
シリーズ記事

健康のハナシ
アスリートに聞く!
データサイエンスの未来

KNOWLEDGE of
HEALTH

気になるキーワードをクリック。
思ってもみない知識に
巡りあえるかもしれません。