PICK UP!
2023.12.22
糖脂質のメカニズムの解明から生まれる今までにない創薬
"糖"と"脂質"というと、エネルギー源やダイエットの時に気になるものというイメージがありますが、細胞膜を構成する材料である「糖脂質」は、細胞の機能を仲介・調節するなど、生命活動にとって大変重要な存在です。また、病原菌と結合して感染症を引き起こすこともあり、多彩な生体機能に関わっています。しかし、遺伝情報を持たない糖脂質は分析が難しく、未だに謎だらけです。そんな糖脂質を長年にわたって研究してきた順天堂大学薬学部開設準備室特任教授の岩渕和久先生にお話を伺いました。
遺伝情報を持たないため解析が難しい糖脂質
――岩渕先生の研究対象である糖脂質とはどのようなものですか。
細胞膜はリン酸が中性脂肪についたリン脂質が二重構造になった脂質二重層でできています。細胞膜上には様々な糖鎖が結合した糖タンパク質や脂質分子が含まれています。そして、脂質に糖鎖がついた分子を「糖脂質」といいます。
糖脂質は糖鎖部分が細胞膜の外側に出るように存在していて、膜上で集合体(膜マイクロドメイン)を形成し、細胞外にある物質や細胞同士と反応する際に関わり、細胞の機能を仲介・調節しています。そのような糖脂質の働きは結合している糖鎖によって大きく異なります。例えばガングリオシドという糖脂質は、細胞の増殖や情報伝達などに関与する一方で、がん細胞の増殖にも関わるなど、蓄積量によっては病気を引き起こすこともあるのです。私が着目しているのは、このガングリオシドを含むスフィンゴ糖脂質です。スフィンゴ糖脂質は、セラミドという脂質に、グルコース(ブドウ糖)などの様々な糖鎖が結合したもので、細胞膜に存在しています。
――糖脂質について、どのような研究を行っているのでしょうか。
タンパク質はDNAに書き込まれた遺伝情報を元に作られるので、遺伝情報から機能や構造を調べることが可能です。ところが、糖や脂質はタンパク質の一種である酵素の働きにより作られていて、DNAの遺伝情報だけでは調べられません。しかも、糖脂質は流動性の高い膜上を自由に動き回っているため、細胞膜でのありのままの状態を観察することは非常に困難であり、糖脂質の性質や構造などはほとんどわかっていませんでした。
そのように未だ謎の多い糖脂質ではありますが、私は膜マイクロドメインに着目し、糖脂質の膜マイクロドメインの構造や細胞内に情報を伝達する仕組みを分子レベルで解明することに取り組んできました。
糖脂質の働きから結核菌が寄生する仕組みを解明
――これまでにどのような研究成果がありましたか。
代表的な研究の一つが、感染症の予防や治療法の開発につながる研究です。ヒトの免疫細胞に発現している糖脂質の中には、さまざまな病原微生物の糖鎖と選択的に結合するものがあります。特にヒトの好中球*と呼ばれる免疫細胞が特異的に発現しているラクトシルセラミドという糖脂質は、大腸菌や赤痢菌、コレラ菌などさまざまな菌の糖鎖と結合することが古くから知られています。菌の糖鎖と好中球のラクトシルセラミドが結合すると、その菌を標的だと認識し、貪食**して殺菌するのです。
ところが、結核菌をはじめとした病原性抗酸菌は、この免疫による攻撃を回避できるために患者数を増やしています。私たちの研究では、これまで不明だった免疫回避や感染の仕組みの一端を明らかにしたのです。
*好中球(こうちゅうきゅう) …ヒトで最も多く存在する白血球で、侵入した菌などの異物を貪食して取り除く。
**貪食(どんしょく)… 細胞が不要なものを取り込み、消化して分解すること。
――結核菌は免疫を回避することができるのですね。
結核菌にも糖鎖があり、本来であれば好中球のラクトシルセラミドと結合して貪食されるはずですが、結核菌は貪食を回避することができます。
私たちの研究では、この回避する仕組みには、病原性に関わらず抗酸菌が共通に細胞膜上に発現しているLAM(リポアラビノマンナン)という糖脂質が関わることや、病原性抗酸菌が宿主であるヒトに寄生(感染)する分子メカニズムを明らかにしました。なんと結核菌等の病原性抗酸菌は特殊なマンノース構造を持ったLAMを用いてラクトシルセラミドの機能を阻害し、殺菌を回避していたのです。
――その仕組みは結核菌以外にも応用できますか。
ラクトシルセラミドという糖脂質は結核菌だけでなく様々な種類の病原微生物と結合できるので、結核菌のLAMと立体的に相同性のある糖鎖があれば、その糖鎖を狙って攻撃するようなユニバーサルな抗菌薬を開発できる可能性があります。例えば、ターゲットごとの抗体(攻撃するための目印)として使えば、その菌を貪食して、感染自体を防げるかもしれません。
しかも、菌に発現している糖鎖はヒトをはじめ哺乳類にはない糖鎖なので、理論上誤って宿主本人を攻撃するリスクがないというメリットもあります。
結核などの感染症を防いで世界の健康に貢献したい
――この研究成果を今後どのように展開させていきたいと考えていますか。
結核は、現在も全世界で毎年1千万人が感染し、150万人の命を奪う恐ろしい病気です。有効な薬が作られても薬剤耐性を獲得した結核菌(多剤耐性結核菌)が出てきてしまうため、従来の抗菌薬とは異なる作用機序で殺菌する治療薬が必要とされています。
LAMのラクトシルセラミドに結合する糖鎖部分を人工的に化学合成した分子を使った私たちの実験でも、人工糖鎖は結核菌の好中球との結合を阻害し、その分子に対する抗体は効率よく菌に結合して殺菌することもわかっています。これらの研究成果を応用し、新しい結核などの病原性抗酸菌感染症の治療薬の開発につなげたいと考えています。
――研究成果が実際の治療につながる可能性があるということでしょうか。
私たちは、結核菌の寄生メカニズムと併せて、非結核性抗酸菌(non-tuberculosis mycobacteria: NTM)症のメカニズムについても明らかにしました。NTM症は日本を始め世界各国で急増しており、特に女性のNTM症患者の死亡数が2015年以降は結核を上回っているほど深刻な疾患です。
現在、NTMによる肺感染症(肺NTM症)に対しては結核と同じ薬物治療を行いますが、効果が弱く完治は困難です。また、副作用や再発再燃、多剤耐性菌の出現などさまざまな問題があり、肺NTM症を根治する有効な治療薬の開発が喫緊の課題です。私たちの研究結果は、肺NTM症の感染メカニズムの一端を明らかにした新たな発見であり、今後結核やNTM感染症治療につながる有力なシードになるといえるでしょう。
臨床に寄り添った教育をする薬学部に
――岩渕先生はご自身も薬学部出身で、薬学部開設準備室の特任教授ですが、どのような薬学部を目指していますか。
現在日本の薬学部教育は、薬剤師の養成が6年制*、創薬研究人材の育成は主に4年制となっています。6年制が始まるより前に卒業したほとんどの薬学生は臨床教育を学部で受けずに薬剤師として就職しました。また、かつての日本の薬剤師は調剤と服薬指導が主な業務であったため、患者さんとの関わりをなかなか深められませんでした。
本学薬学部における人材育成の理念は「臨床実践能力の高い薬剤師の養成」と「臨床を理解している創薬研究者の育成」であり、本学が185年に渡り培ってきた医学・医療教育を活用することでそれらが同時に実現できると考えています。そして、私たちの思いに共感し、臨床教育の実績豊富で博士号を取得した薬剤師や、世界的な研究を行っている薬剤師免許を持つ若い教育・研究者を集めることを目標としたところ、各分野で活躍されている先生方が参集してくれることになりました。
*薬学部6年制 … 国家試験受験資格が6年制へ変更されたことに伴い、平成18年入学生より6年制の学科が開設された。
――若くて優秀な教員が揃った薬学部になるのですね。
50人を超える薬学部の教員の平均年齢は44才と若く、臨床教育だけではなく、薬学研究においても、本学薬学部は日本の薬学のトップランナーの一員に必ずなれると確信しています。また、充実した設備のある研究基盤センターと疾患モデルセンターも整備される予定ですから、両施設が完成した暁には、先生方の力量が大いに発揮されることを期待しています。
――薬学部の学生にはどのように学んでほしいですか。
本学薬学部は、医学部や医療看護学部と連携しやすいという強みがあります。そのような恵まれた環境を活かして、臨床の中にあるクリニカルクエスチョンを元にした基礎研究や臨床応用研究ができるようになってほしいです。
私は医学部と医療看護学部でも教えてきましたが、どの学部の生徒も低学年のうちは決してガリ勉タイプではなく、部活やプライベートに熱中するなど、学生生活を満喫しています。ところが、臨床実習が始まる学年になると途端に一生懸命勉強するようになるのです。おそらく彼らは臨床で見つけたさまざまな課題に直面することでスイッチが入るのでしょう。これはオンとオフの区別をつけることができる、本学の環境や学生のとてもいいところだと思っています。薬学部でも臨床に軸足を置いた教育を行いますので、他学部の生徒同様に部活やプライベートを楽しみつつ、自分なりの課題を見つけて研究や学習に励み、メリハリのある学生生活を過ごしてもらいたいと思います。
●『患者さんを中心とした「真のチーム医療」。多職種連携で価値を生み出す"臨床薬剤師"を語る。』
―順天堂大学医学部附属順天堂医院薬剤部 木村 利美 薬剤部長―
―順天堂大学大学院医学研究科乳腺腫瘍学 齊藤 光江 特任教授―
―順天堂大学医学部附属順天堂医院薬剤部薬剤師 佐野 阿耶 氏―
―順天堂大学医学部附属順天堂医院看護部看護師 髙 幸子 主任―