MEDICAL

2020.04.24

国内の知見を結集し、ガイドラインを発行!特発性正常圧水頭症の治療と診断におけるグローバルスタンダードを提供

17.パートナーシップで目標を達成しよう

特発性正常圧水頭症はご高齢者に多く発症し、生活の質を大きく下げる病気です。超高齢社会の日本では早くからこの病気の研究・治療が進み、世界に先駆けて「特発性正常圧水頭症診療ガイドライン」を刊行。2020年3月には最新の研究成果を盛り込んだ同ガイドラインの第3版を出版し、国際版ガイドライン発行に向けグローバルスタンダードを提供しています。ガイドライン作成の指揮を執った順天堂大学大学院医学研究科脳神経外科学・新井一教授のもと、事務局として執筆・編集に関わった中島円同准教授がその意義を語ります。

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【順天堂大学】動画2020:中島円先生(大学院医学研究科脳神経外科学)


特発性正常圧水頭症とはどんな病気か

脳室に脊髄液が溜まることで起き、歩行障害・尿失禁・認知症が3大徴候

正常圧水頭症とは脳室に脊髄液が溜まる病気で、脳室の拡大はありますが、脳脊髄液圧が正常範囲内のものを指します。なかでも、くも膜下出血や髄膜炎のような先行疾患がなく、原因が明らかでないものが「特発性正常圧水頭症」です。ご高齢者に多く発症し、おもに次の3つの徴候が見られます。

もっとも顕著な症状は歩行障害です。歩くときに両足の幅が肩幅ほどに大きく広がり、いわゆるガニ股歩きになります。足裏がぴたりと地面にくっつくため、すり足にならざるを得ず、氷の上を歩くような感覚を想像していただくとわかりやすいかもしれません。姿勢も中腰になり、転倒につながりやすくなります。

2つ目の症状は尿失禁です。尿意がわかりづらくなる上に歩行障害があるため、トイレに間に合わず、失禁が増えてしまいます。

3つ目の症状は認知症です。気力や集中力をなくし、ぼんやりと過ごされる方が多く見られます。

特発性正常圧水頭症は後でご説明する脳脊髄液短絡術(シャント術)で症状がよくなる方が多いため、一般的に「治せる認知症」と説明されることがありますが、もっとも重要な症状は歩行障害。「治せる認知症」も間違いではありませんが、その点だけがクローズアップされてしまうと、誤解を生みやすいかもしれません。

これらの症状は数か月~年単位でゆっくりと進行します。そのため、歩行のふらつきや尿失禁があっても「加齢のせい」と思い込み、病院に足を運ばれない患者さんが少なくありません。

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特発性正常圧水頭症の治療法は?

シャント術が根本的な治療法。事前にタップテストを行うことで効果を確認。

特発性正常圧水頭症の治療法は、現在脳脊髄液短絡術(シャント術)しかありません。よく「お薬はありますか?」と聞かれますが、症状を緩和するものしかなく、根本治療にはなりません。シャント術は昔から行われている治療法で、患者さんの体内にシリコン製のカテーテル(管)を植え込み、脳室に溜まった脳脊髄液を体内の別の場所に誘導し、吸収させるものです。

シャント術の前に、私たちは「タップテスト」と呼ばれる一時的な脳脊髄液排除試験を行います(図1)。30㏄程度の脊髄液を腰椎穿刺という方法で取り除くもので、タップテストの結果、背筋がしゃんと伸びたり、大股で歩けるようになると、「手術をすれば、ほぼ間違いなく改善する」と確信することができます。

タップテストで明らかな改善を体験されると、患者さんやご家族の中のシャント術へのハードルが下がります。当院の外来にいらっしゃる患者さんの平均年齢は約75歳。「今更手術なんて...」とおっしゃる方が多いのですが、タップテストが背中を押すきっかけになる可能性があります。

■図1

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特発性正常圧水頭症の治療法は?

より高齢者にやさしい腰椎-腹腔シャントを部分麻酔で提供

シャント術は脳神経外科の中では基本的な手術です。脳外科医になって数年の医師でも1時間あればできる手術で、ベテランになると30分ぐらいで終わることも少なくありません。

シャント術には、①脳室-腹腔シャント(V-Pシャント)、②脳室-心房シャント(V-Aシャント)、③腰椎-腹腔シャント(L-Pシャント)の主に3種類があります(図2)。

国内では、V-PシャントとL-Pシャントが半々の割合で行われています。L-Pシャントは脳を穿刺せず、より低侵襲な方法のため、部分麻酔で行うことも可能です。そのため、順天堂医院ではL-Pシャントを選択される方が全体の9割近くに上ります。より低侵襲でご高齢者にやさしい治療法といえます。

どのシャント術を選ばれても術後の回復は早く、術後数日で退院することも可能です。多くの患者さんは症状に合わせたリハビリテーションを1週間程度行った後、退院されます。

ここで医療関係者はもちろん、患者さんやご家族の方にぜひ知っていただきたいのが、シャント術が治療効果だけでなく、経済効果も高い治療であることです。手術後に介護度が改善されるため、患者さんが介護保険を利用される機会が減り、手術にかかった医療費と手術をしなかった場合にかかる介護費を比べると、術後およそ2年で黒字に転じるのです。早期に手術を受けられた患者さんの中には、すでに10年以上経過されている方もいます。ご家庭の家計だけでなく、日本の医療費介護費削減に貢献できる、素晴らしい治療法であることをお伝えしたいです。

■図2

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「診療ガイドライン第3版」発行の意義

治療の恩恵を受ける患者さんは未だ1割未満。「高齢だから」と見過ごさず、的確な治療を!

さて、ここからは医師向けに20203月にリリースした「特発性正常圧水頭症診療ガイドライン(第3版)」についてお話をしたいと思います。

日本では、世界に先駆けて同ガイドラインの初版を2004年に、第2版を2011年に刊行しました。ガイドラインの出版により、特発性正常圧水頭症が国内でも少しずつ知られるようになってきましたが、2013年に実施された全国調査により、治療の恩恵を受ける患者さんは実際の患者さんの1割にも満たないことが判明しました。歩行障害や認知症があっても、「高齢だから」と見過ごされる事例が多いためだと考えられます。

さらに、初版・第2版出版後にそれぞれ行われた医師主導型多施設共同臨床試験において、大変重要な研究結果が報告されました。初版後の共同臨床試験では、V-Pシャントの術後12か月で約7割の患者さんの日常生活の自立度が改善したこと。第2版後の共同臨床試験では、L-Pシャントが古くからあるV-Pシャントと比較しても遜色ない治療効果があることが証明され、早期に手術を受けた方ほど治療効果が高いこともわかりました。

このような重要な成果を盛り込んだガイドラインの改訂が急がれ、今回の第3版の刊行に至りました。

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「診療ガイドライン」での順天堂の役割

30名のスペシャリストをまとめ、膨大な編集作業を経て世に送り出す

診療ガイドラインの改訂は、厚生労働科学研究費補助金・難治性疾患政策研究事業として、2017年から3年間かけて進められました。具体的にはガイドライン作成班を設けて、順天堂大学脳神経外科の新井一教授がその委員長を務め、日本正常圧水頭症学会の協力のもと、全国の医師・研究者30名が作成に当たりました。

ガイドライン作成班の事務局は順天堂大学の脳神経外科内に設置され、私は原稿を執筆しつつ、30名の医師の原稿をまとめる役割を行いました。原稿作成に当たっては、最初の2年間で先生方に何度か講習会を受けていただき、全員で数回の会議を開き、議論を重ねて構成案などを擦り合わせました。各項目はそれぞれのスペシャリストが執筆しましたので、私は全体の用語を統一したり、言い回しを揃えるなど、編集作業も担当しました。

今は第2版改定後に報告された膨大な論文を整理し、得られたEBM(根拠に基づく医療)を1冊の書籍としてまとめることができたことに、大きな達成感を感じています。

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「診療ガイドライン第3版」の内容

臨床で重要なクリニカルクエスチョンを掲載。アルゴリズムもよりわかりやすく!

従来のガイドラインは特発性正常圧水頭症があまり知られていないこともあって、教科書的な要素が強いものでした。新改訂版は従来の教科書的な部分も残しつつ、臨床的に重要な18項目のクリニカルクエスチョンを加えたことが、第2版との大きな違いです。クリニカルクエスチョンに対する回答と解説という形式でガイドラインを作成すると、改めて臨床での課題が浮き彫りになり、解決できていない現在のEBMの限界も明らかになって、今後の研究課題が明確になりました。

私が執筆させていただいたのは水頭症疾患の分類などで、診断と治療のアルゴリズムに関しても多くの方の意見をいただきながら作成し、従来のものよりわかりやすくなっていると思います(図3)。

■図3

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「診療ガイドライン」の今後の展開

日本版を基盤として、国際版ガイドラインの作成へ

現在、長く改訂されていない国際版ガイドラインの作成も進んでいます。一般的にこうした治療ガイドラインは米国が先行することが多いのですが、特発性正常圧水頭症に関しては高齢者でないとなり得ない病気であり、高齢化が進む日本には知見が蓄積されています。日本が発信してきた発症年齢の基準や特徴的な脳の画像所見、そしてタップテストの重要性は、すでに国際的にも認められたコンセンサスとなっており、近い将来刊行される国際版もおそらく日本版を基盤としたガイドラインになるでしょう。

今回のガイドライン第3版が特発性正常圧水頭症の診断と治療をさらに精緻なものとし、診療に関わる医療従事者の理解が深まり、ひとりでも多くの患者さんが的確な診断を受けられるよう願っています。

中島 円(なかじま・まどか)
順天堂大学大学院医学研究科 脳神経外科学 准教授
1997年順天堂大学卒.脳神経外科学教室に入局.順天堂医院で研修医を経て関連病院にて研鑽を重ね,2013年より同教室大学院准教授.2018年東フィンランド大学客員教授兼任.特発性正常圧水頭症ガイドラインには第2版から係り,厚生労働科学研究費補助金・難治性疾患政策研究事業「特発性正常圧水頭症の診療ガイドライン作成に関する研究」班事務局.日本脳神経外科学会指導医.

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