MEDICAL

2021.05.28

高次脳機能の原理を大脳新皮質のシナプス構造から探る

ヒトの脳では神経細胞がつながり合うことで高度な神経ネットワークを構築し、高性能スーパーコンピュータでも実現しえない超並列演算処理を常時行っています。その原理を理解するには「構造(かたち)」を正しく知ることが不可欠だと考え、各種ツール開発から取り組んでいるのが、「形能不離(構造無き機能はない)」を研究ポリシーとする医学研究科神経機能構造学の日置寛之教授です。応用範囲が広く、臨床研究の基盤ともなりうるこの研究は、JSTの「創発的研究支援事業」にも採択されています。

なぜヒトの脳はこんなにも高度に発達したのか

私たちヒトの脳は、認知、思考、判断、記憶、行動といった高次機能を実現するほど、高度に発達しています。思い出について誰かと会話する、美しい景色を写真に撮る、その場で判断して行動するといった複雑なコミュニケーションができるのも、ヒトの脳の処理能力が極めて高いからです。

脳の処理能力を担っている神経細胞は、大脳だけでも百億個以上、脳全体では千億個以上も存在しており、膨大かつ緻密な神経ネットワークを構築しています。そして、ひとつひとつの神経細胞は「軸索」と「樹状突起」という神経突起を伸ばし、「シナプス」を介して約1万もの細胞と電気信号のやりとりをすることで並列演算処理を行っています。脳の神経回路はこれらを組み合わせることで、さらに高度・高速な超並列演算処理を実現しているのです。

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「かたちを見る」ことで機能を理解する

私が専門とする形態学は、「かたち」を正確に捉えることで生命現象の本質に迫ろうとする学問分野です。超並列演算を実現する神経回路についても、その基本構造を明らかにすることで機能の理解につながると考えられます。基本となる脳の構造がわかれば、その動作原理がわかりますし、どこに異常があるかを見つけることもできるでしょう。例えば、パーキンソン病、アルツハイマー病、統合失調症、自閉症などの神経精神疾患でも、"正常な脳の構造"を理解していればこそ、機能不全の原因を探すことができます。

しかし、神経細胞の構造を理解することは容易ではありません。神経細胞へのシナプス入力は約1万だといわれていますが、その総数はいくつで、シナプス入力部位はどこにあり、どのようにネットワークを形成しているのか、定量的に捉えることができていませんでした。それが近年の技術革新によりさまざまなツールが発展し、この5年から10年の間に「見える景色」が一変しました。

形態学的アプローチに大きな変革をもたらすことになったのが「標識」「観察」「解析」という3つの技術です。1つ目の「標識」はウイルスベクターを用いて細胞や分子を蛍光タンパクで可視化する技術です。私自身も蛍光タンパクなどを発現するウイルスベクターを多数開発して、見えないものを見えるようにしてきました。2つ目の「観察」は顕微鏡技術のことで、超解像光学顕微鏡や三次元観察が可能な電子顕微鏡などが登場し、この数年で一気に高性能化しました。さらに、理化学研究所の宮脇敦史博士との共同研究で、脳組織を透明化して深部まで観察することを可能にする透明化技術の開発にも取り組んでおり、三次元構造をそのままデジタルデータ化することができるようになりました。そうして得られた画像データを意味のあるものにするのが、3つ目の「解析」技術です。データサイエンスが医学研究の分野にも入ってきて、膨大な量のデータ解析が可能になりました。

これらを組み合わせて実現したものの一つが、cmオーダーの全脳レベル(マクロ)からnmオーダーの超微細構造レベル(超ミクロ)まで、狙ったところに一気にズームインする技術です。まずは全体の構造を大まかに捉えた上で、目的とする部位にピンポイントでズームインすることが可能になり、形態解析の幅が大きく広がりました。

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大脳新皮質の7割以上を占める錐体細胞を見る

脳の構造を「見るツール」が整いつつあるところで、解き明かそうとしているのが大脳新皮質の構造原理です。大脳の表面を覆う大脳新皮質の神経細胞には、グルタミン酸を神経伝達物質とする興奮性の錐体細胞とGABAを神経伝達物質とする抑制性神経細胞の2種類があり、78割を錐体細胞が占めています。

これまでの研究では、ヒトの死後脳解析を通じて統合失調症や自閉症などと深い関連が指摘されているGABA細胞を中心に研究を進めてきました。主としてGABA細胞へのシナプス入力パターンを定量的に解析し、GABA細胞同士が結合するルールを見つけることができました。そこで、次のターゲットとしたのが錐体細胞です。錐体細胞は、大脳新皮質の主役となる重要な細胞であり、様々な機能を担っていることがわかっています。しかし、発現遺伝子やマーカーによる分類はGABA細胞に比べて遅れていたことから、研究の歩みが遅れがちでした。

そこに「標識」「観察」「解析」の著しい発展があり、ようやく錐体細胞にトライできるようになったのが今です。錐体細胞は細胞体が大きく、樹状突起が豊富で、軸索が長いのが特徴です。マウスの軸索は数cmですが、ヒトではメートル単位になります。錐体細胞に入ってくる1万にものぼるシナプスの種類と結合部位ををひたすらマッピングし、錐体細胞が構成する三次元ネットワークを明らかにしようというのが第一段階です。

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シナプス入力の三次元マッピングから拓かれる可能性

現在、大脳の中でも触覚に関わる第一次体性感覚野と運動をコントロールする第一次運動野を中心に観察し、錐体細胞のシナプス入力の様子を解析しています。シナプス入力は機能的に「興奮性シナプス」と「抑制性シナプス」とに分類され、脳機能においてはそのバランスがとても重要です。

研究では、アデノ随伴ウイルスベクターで錐体細胞を隅々まで標識し、光学顕微鏡で観察するために厚さ500㎛1mmのスライス標本を作製して透明化処理を行い、錐体細胞に入ってくるすべての興奮性・抑制性シナプスを網羅的に解析します。また、ズームイン技術も利用して、電子顕微鏡によるシナプス構造の解析も行います。さらに、グルタミン酸やGABAの受容体の分布についても調べ、それら受容体に作用する向精神薬の創薬研究に役立てることも考えています。

解析したシナプス入力や受容体の解析データは三次元的に再構成し、大脳新皮質における錐体細胞の神経回路の構造を明らかにしていきます。錐体細胞の三次元マッピングが可能になったときの可能性として、まず期待しているのが脳型コンピュータへの応用です。錐体細胞の計算原理が、脳型コンピュータのフレームワークとして活かされる可能性があるのです。もうひとつ期待されているのが、アルツハイマー病、統合失調症、自閉症などの神経精神疾患の病態理解につながることです。例えば、病気の進行によってシナプスがどう障害されていくかを知ることで、シナプスの保護や発症前の介入が可能になるかもしれません。

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「脳の美しさ」に魅せられて

私はもともと医者になりたくて医学部に入学したのですが、大学3年生のときに受けた神経解剖学をきっかけに形態学に興味を持ち、卒業ギリギリまで悩んだ結果、臨床ではなく基礎研究の道を選びました。

なぜこれほどまでに脳の研究に惹かれたかといえば、「脳が美しいから」の一言に尽きます。同じ分野で研究している仲間や大学院生たちも、みんな口を揃えて「脳が美しい」と話しています。私たちは、研究室の顕微鏡で毎日のように染色された神経細胞を観察しています。そこに広がっているミクロの世界は、視覚的・直感的に美しく、見ているとそこに真実があるのではないかと思えてくるのです。実際、美しい神経細胞のネットワークには、高次機能を実現する真実が存在しているはずです。

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新しい技術で新しい知見を生み出す

自分では形態学が専門だと思っていますが、標識技術のウイルスベクター開発にもかなり注力してきました。学生時代から追求してきた「脳の構造を明らかにする」というニーズを実現するために、自らシーズを作り、必要なツールも自分で開発してきました。あくまでもニーズドリブンに、自分でできることは自分でやりたいというというのが私の研究スタイルです。

もちろん、自分一人ですべてを実現することはできません。理化学研究所の宮脇敦史博士との共同で進めている透明化技術をはじめ、さまざまな分野の研究者、顕微鏡メーカーなどとも協力して研究を進めています。加えて、順天堂大学は研究を行う上でとても恵まれた環境にあります。国内トップレベルといえる共同研究設備のほか、20214月からは最新の超解像顕微鏡や超高速イメージングまでカバーする顕微鏡が数台導入されますから、脳神経科学研究はさらに加速することになるでしょう。

この数年での標識・観察・解析の技術の進歩が私たちの研究を発展させているように、今回の研究から生まれる要素技術の数々は将来の研究の基盤となるはず。「新しい技術で新しい知見を」という信念を忘れず、ただ尖った技術を作るだけでなく、広くニーズを満たす技術を作っていきたいと考えています。


順天堂大学大学院医学研究科神経機能構造学 HIOKI GROUP のサイトはこちらをご覧ください。

日置 寛之(ひおき・ひろゆき)
順天堂大学
大学院医学研究科神経機能構造学/医学部神経生物学・形態学講座 教授

2003年、京都大学医学部卒業。2008年、同大学院にて博士号取得(医学)。京都大学大学院医学研究科高次脳形態学助手、助教、理化学研究所脳科学総合研究センター客員研究員などを経て、2021年より現職。東京大学医学部や北海道大学大学院医学研究科でも非常勤講師を務める。神経解剖学を専門として、「かたちをよくみる」ことで得られた知見をもとに、分子生物学・生理学・理論神経科学などへと分野横断的に研究を展開。

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