MEDICAL
2023.11.17
バスケットボールW杯 "チーム順天堂"のドクターが見た熱狂と感動の舞台裏(後編)
今夏、日本中が熱く燃えたFIBAバスケットボールワールドカップ2023を支えた順天堂の4人のスポーツドクターのインタビュー(後編)です。
「日本で日本人がこんなに応援してくれるんだ」
小松 金先生にうかがいたいのですが、今回、*沖縄アリーナの雰囲気がすごく良かったですよね?
金 そうですね、歓声がすごかった。アリーナの造り自体も良かったけど、バスケットボールの人気が出て、観客がたくさん入ってくれたのが良かったね。僕は20年近くいろんな世代の日本代表チームと関わってきましたけど、10年ぐらい前は、日本で日本代表が試合しているのに、客席がガラガラだったこともあったからね。あれだけお客さんが入って熱狂してくれると、やはり選手たちも勢いに乗るし、よかったと思います。
深尾 今までいろんな大会見てきましたけど、今回の雰囲気は特にすごかった。
小松 しかも、日本戦以外の試合も、たくさんお客さんが入っていましたね。
市原 盛り上げ方もすごく上手で、会場に一体感が生まれていました。
深尾 沖縄アリーナは4階、5階まで観客席があるんだけど、上の方の席でもコートが近く見える造りになっているんですよね。それもよかったのではないかなと思います。
金 ディフェンスコールみたいな「バスケの応援の仕方」をみんなが分かってきて、声を合わせられるようになったのも大きかった。とにかく、あんなに大きな声援を受けたのは、本当に初めてです。アジアでは中国とフィリピンの応援がすごいのですが、今までずっと、日本代表はそのすごい応援を“敵地で”“対戦相手”として聞いてきた。今回、“日本で”“日本人が”こんなにバスケットボールを応援してくれるということに、本当にびっくりしました。
黒子に徹するメディカルオフィサー
――メディカルオフィサーとして、ご苦労されたのはどのようなことだったのでしょうか?
小松 いろいろありますが、コートで何か起きた時に、患者を運び出す動線はすごく大事で、深尾先生はその動線の確保にすごくご苦労されたと思います。動線によって搬送が数分遅れただけで、致命的になる場合もありますから。
深尾 沖縄アリーナは建物がよくできていて、段差が少ない造りだったので、動線を決めるのは割と楽だったんですよ。ただ、大会期間中に動線上にストレッチャーが通行不可能な壁ができてしまい、急遽、導線を変更することになった時は大変でした。沖縄のスタッフは、毎日入れ代わり立ち代わり別の方が来てくれていたので、大変ではありましたが、毎日変更後の動線を説明しましたし、コート上で選手が倒れた時の搬送訓練も必ずやったよね。
市原 毎日やりましたね。初めは周りに「何やってんの?」って目で見られましたけど、最後の方は、いろんなメディアが写真を撮ったりして、ちょっと注目されましたよね。
小松 ある時、試合前に僕らがいつも通り訓練していたら、4階にいた大会関係者が「何かあったんですか!?」って血相変えて飛んできて、「ただシミュレーションしていただけです」「なんだ、何でもないんですか……」ってことがありました(笑)。
深尾 シミュレーションが“リアル”になったのには理由があって、今回、地元消防署の救急隊の方が、救護員という立場で中に入って一緒にやってくれたんですよね。普通は、救急隊の方が会場内の動きに加わることはあまりないので、そこが違った。現地のプロフェッショナルな方にたくさん参加していただいたのが、いい動きに繋がったんだと思います。
小松 関係者が勘違いするぐらい、リアルで完成された動きができていたということなので、すごくうれしかったですね。
市原 あったな、そういうこと。うれしかったね。
――そういった「うれしい瞬間」はほかにもありましたか?
市原 今着ているのは大会中に着ていたユニフォームなんですけど、ご覧の通り黒一色で、文字通り僕たちは「黒子」なんです。試合中はコートのそばにはいますが、なるべく目立たない場所にいなければいけない。テレビにもなるべく映ってはいけない。でも、日本代表の選手が会場を出る時だけは、僕たちや医療スタッフが廊下に並んで、選手とハイタッチできたんですよね。「それぐらいはいいんじゃないか」って深尾先生が言ってくださって。あれはうれしかったなあ。
深尾 僕ら3人はもう何度もバスケの試合を観ていますけど、今回の沖縄のスタッフのみなさんは、今までスポーツイベントに関わったことがない方が多かった。それも、忙しい中でわざわざ手を挙げて手伝ってくれた方たちだから、少しでもいい思い出を作ってあげたかった。モチベーションも上がりましたし、やって良かったですね。
帰り道に届いた各国からの「助かったよ」と「ありがとう」
小松 大会が終わった後、沖縄のメディカルチームはすごく良かったというフィードバックをいただいたのは、誇らしかったですね。
市原 会場を撤収して、3人で空港に向かう車の中で、FIBAのメディカルのトップや各国のチームドクターから「君たちは本当によくやってくれた」「助かったよ」とメッセージが届いた時は、やった甲斐があったなって思いましたね。
小松 特にドイツのメディカルチームとは仲良くなって、沖縄での最後の試合でドイツが勝った直後に、コートにいたドイツのチームドクターに「来い!」って我々が呼ばれたんですよね。
市原 そうそう。僕らは緊急の時しかコートに入っちゃダメなのに。
小松 ダメなんですけど、コートの中に連れていかれて……。
市原 「これ大丈夫か?ダメだろ?」って思ったんですけど、呼ばれたから、ね(笑)。
小松 コートの真ん中で、ドイツのメディカルチームが一緒に記念写真を撮ってくれて、その写真を向こうのドクターがインスタグラムに投稿してくれたんです。そこに「沖縄のメディカルチームにとても“感謝”しています」という言葉が添えられていて、すごくうれしかった。医療スタッフ冥利に尽きるというか、僕らがめざしていた、各チームが気持ちよく試合だけに集中できる環境はつくれたのかなと思います。
スポーツドクターこそ守備範囲を広く
――順天堂から4人の先生方がW杯に参加された意義を、どのように感じていらっしゃいますか?
金 私たちのような「スポーツの第一線に立っている医者が順天堂にいる」ということが、たとえばスポーツドクターに興味がある人が順天堂の整形外科への入局を希望してくれる、といった効果はあるのかもしれないですね。そこに関しては少し貢献しているかもしれないと思いますが、どうでしょう?
市原 それは確かにあります。僕は、臨床研修センターのスタッフとして、研修医の面接をすることがあるのですが、大半が「順天堂=スポーツドクター」というイメージを持っているんですよね。だから「順天堂には、バスケだったら金先生や深尾先生がいるし、ラグビーだったら髙澤祐治先生、サッカーだったら池田浩先生がいる」という話をすると、やっぱりすごく食いついてくる。先生方の存在がすごくアドバンテージになっていると思います。
小松 僕は、バスケのW杯で約2週間沖縄にいて、その後もアジア大会に帯同して3週間中国に行っていたのですが、これだけ長期間大会に行かせていただけるのは、順天堂だからこそかなと思いますね。なにより「医学部とスポーツ健康科学部がこんなに密接にかかわっている大学」って他にないと思うんです。今後も“順天堂人”として、スポーツドクターをめざす学生が育ちやすい土壌をつくる役目を果たしていきたいと思っています。
深尾 この記事で「順天堂はサッカー、ラグビーだけじゃなくて、バスケットボールのドクターもやってるぞ!」ともっとアピールしたいですね。
――今あらためて、スポーツドクターをめざす後輩たちへのアドバイスやメッセージはありますか?
金 僕が日本バスケットボール協会にメディカルスタッフとして関わり始めたのは、医者になって8年目でした。その間に整形外科の中でも色々な部位を勉強して、守備範囲を広げていたことが、後になってすごく助けになった。最近は、若いうちからスポーツドクターの世界に入る人が多いのですが、「最初から専門を絞りすぎないで、何でも勉強した方がいいよ」といつもアドバイスしています。
深尾 僕は、スポーツドクターになりたくて医者になりましたが、最初は内科系の先生でスポーツと関わっている方が周りにあまりいなかった。どうやったらスポーツドクターになれるのかなと思い、金先生や髙澤先生に相談して、バスケットボールとの縁ができて、こうやってW杯にも携わることができたし、スポーツ健康科学部でスポーツ医学を教える教員にもなっています。若い先生には、自分がやりたいことを見つけたら、努力を惜しむなと伝えたいですね。
小松 目の前の患者さんに何ができるかを真摯に考える「ペイシェントファースト」は、病院からスポーツの現場に場所が変わっても同じだということは、後輩によく話しています。スポーツドクターは整形外科のイメージが強いのですが、実は救急との親和性が高いと思っていて、もっと救急からもスポーツ医学をやる人が増えてほしいですね。
市原 今まで僕が経験していたのは、試合中のケガに対応するコートドクターで、そこでは整形外科の知識だけで事足りることが多かったんです。今回、国際大会で深尾先生、小松先生と一緒に仕事をさせていただいて、他科のことも覚えておかなきゃいけないなという気持ちを新たにしましたし、国際大会の組織委員会の一員として仕事をする難しさとやりがいも感じることができました。この経験を伝えることで、順天堂からもっとたくさんの先生方が国際大会に出ていけるようになると良いなと思っています。
金 結局、チームドクターになると、けがも病気も全部診るので、“全科の医者”にならなければいけないんですよね。正直とても難しいことなのですが、そうも言っていられない。少しずつ知識を吸収して、なるべく自分の守備範囲を広げていく努力をする必要は常にあると、今回のW杯でもあらためて思いました。
深尾 金先生もおっしゃった通り、スポーツドクターはオールマイティに色々なことができた方が良いんです。僕自身、40代、50代になったからもういいや、とは全く思わないし、絶えずブラッシュアップしてこれからもやっていきたいと思っています。