SPORTS

2020.07.28

「速く泳ぐ」とは、どのような動きなのか?複雑な水泳の動作メカニズムを解き明かす"競泳のバイオメカニクス"とは――

世界トップレベルの選手を次々と輩出している日本の競泳界。その強さの一因は、選手たちの高い技術力にあると言われています。泳いでタイムを競う"競泳"は、長い歴史を持ちながら、今なお技術革新が進んでいる競技ですが、実は「泳ぐ」という動きのメカニズムについては、まだほとんど解明されていないという少し意外な事実があります。「分からないことが多いからこそ、水泳には夢がある」。そう語るのが、競泳のバイオメカニクスを専門とし、特にスタート時の動作分析を研究する武田剛准教授。順天堂大学水泳部監督でもある武田准教授は、現場の選手や指導者に直接貢献できる泳法や指導法の改善を目指し、水泳の動作メカニズムの解明に取り組んでいます。

“走る”ことに比べて分からないことばかり
複雑な“泳ぐ”動作のメカニズム

歩いたり走ったりする時、人は着地の際の地面反力を推進力に変えて前に進んでいます。スキーやスピードスケートなど高速で動くスポーツを除けば、陸上で行う種目の多くは、空気抵抗の影響をほとんど受けません。そのため“地面から受ける力”だけを考慮して、力や動きを計算することが可能です。コンピューター上で人の歩行をモデリングし「どのような力が働いているのか」「関節で発揮する力を増やすと動きがどう変化するのか」といった検証も既に行われており、“走る”という動きのメカニズムは、現在、ある程度解明できていると言えるでしょう。

一方、“泳ぐ”という動きのメカニズムは、“走る”メカニズムに比べて、解明されていないことが非常に多い分野です。

水泳のメカニズムを調べるためには、“人の体”と“水”の間の力のやり取りを調べる必要がありますが、水の中では、水圧、水の抵抗、浮力、揚力など、陸上と比べ密度の大きい流体から様々影響を受けます。現在、多くの研究者が、泳いでいる人の全身にどのような力が働いているのかを明らかにしようとしていますが、複雑な流体力学の影響を受ける領域でもあり、大変な難題です。競技時間を競うという点では、競泳と陸上競技の走運動はよく似ていると言われますが、「体のこの部分に力を入れると動きがこう変わる」といった、陸上競技では既に解明されていることも、水泳の世界ではまだ明らかになっていないことが多いというのが現状です。

まだ解明されていないことが多いからこそ
“水泳”には競技として発展の可能性がある

水泳には、まだ解明されていないことが多い分、選手が想像力を働かせて、泳ぎ方を工夫したり技術を改善したりする余地があります。競泳の世界記録が毎年のように更新され続けているのは、「最適な泳ぎ方」がまだ分かっていないからだとも言えるのです。
実際に日本の競泳界では、「こうすればもっと速くなるのではないか」と考え実践している選手が結果を残していますし、多くの選手が体格に優れる外国人選手をはるかにしのぐパフォーマンスを発揮し、オリンピックでも数多くのメダルを獲得しています。解明されていないことがたくさんあるということを、「研究が遅れている」とネガティブに表現することもできますが、私は「競技として発展する可能性がまだまだ広がっている」と前向きに捉えています。

「泳ぎ出しのバタ足は逆効果」
パフォーマンス向上につながる研究成果を発信

私の専門分野は競泳の動作情報解析ですが、その中でも長い間、研究に取り組んでいるのが「スタート時の動作解析」です。
競泳では、泳法動作を行っている時より、飛び込みやターンで壁を蹴る時の方が高い速度が出ます。そして、クロールの泳ぎ出しでは、この高速度を維持する目的で“バタフライキック”が使われ、実際に泳法動作を始めるまでの移行動作として“バタ足”が使われてきました。しかし、この「泳ぎ出し時のバタ足」は大きな減速の原因になることを私たちの共同研究グループが実証し、今年4月に論文を発表しました。
この研究では、プールの壁を蹴ってからクロールを泳ぎ出すまでの動作について、「①バタフライキック5回」と「②バタフライキック5回+バタ足6回」の2つの条件を設定し、それぞれの様子を水中カメラで撮影。速度を比較してみた結果、バタ足を追加した条件(②)では、平均で0.31m/sの速度低下が生じることが明らかになりました。その後、クロールを泳ぎ出すことで速度は上昇しますが、バタ足による減速の遅れを取り戻すことはできませんでした。実験データに基づくと、バタ足を6回する間に平均で約0.21m/sの遅れをとることになります。

これまでの研究でも、クロールの泳法動作中のバタ足は、推進力としての貢献よりは姿勢を維持する役割が大きいと考えられてきました。今回、私たちの研究によって、泳法動作へ移行するためのバタ足を高速度状態の泳ぎ出し時に使用すると、明確に大きな減速を引き起こすため「デメリットである」ということが証明されました。これは、トップレベルを目指す競泳選手や指導者にとって大変有益な情報であると考えています。

関連リンク

【プレスリリース】クロールでの泳ぎ出し前のバタ足は大きな減速の原因に ~ バタ足使用がパフォーマンスにデメリットとなることを実証 ~
https://www.juntendo.ac.jp/news/20200428-02.html

「知っていること」を検証し
科学的エビデンスを増やす

この「泳ぎ出しのバタ足は逆効果」という結果ですが、実は、トップレベルを目指す競泳選手や指導者には経験則として「知られていること」ではありました。おそらく、選手自身がバタ足をした時に違和感を覚えたり、実際にタイムを計測してみると遅くなっていたりという経験があったのでしょう。実際、国内の競技力の高い選手たちについては、そのほとんどが泳ぎ出しにバタ足を使っていません。水泳には、そうした「みんなが知っていること」の中にも、科学的に検証されていない分野が多く残されているのです。
この研究成果が新聞などで報道された後、実は思っていた以上に「知らなかった」という反響が水泳関係者から寄せられ、少し驚きました。一方で「分かりきっていることだから」と思い込んで研究の芽を潰すのではなく、検証できることは積極的に研究し、科学的なエビデンスを増やしていくことが重要だと、今回の研究を通じて改めて感じています。

泳者の“スピード”と“推進力”を機器を用いて計測する

最も速度が出る飛び込み直後の泳ぎが
パフォーマンス向上の鍵に

みなさんは“速く泳ぐ”ということが、どのように泳ぐことだと思いますか?
一般的には、速く走る時と同じように、たくさん水をかいて加速していくイメージを持つ人が多いと思いますが、実は違うんです。
たとえば、陸上の100mは、スタートから加速を続け、約50m以降で最高速度になり、その後、緩やかに減速してゴールします。ところが、競泳はスタート台から飛び込んだ瞬間が最も速く、泳いでいる時の2倍以上のスピードが出ますが、泳法動作を始めると一気に減速します。このように競泳では、泳ぎ始めからぐんぐん加速できるわけではないため、飛び込んだ時の初期速度をできるだけ損なわないようにすることにパフォーマンス向上の“鍵”があると考え、これまで研究を進めてきました。
現在は、そのことを明らかにするため、高いスピードで泳ぎ出してから、自力で達成できるスピードに落ちるまでの時間を計測し、その個人差などを検証しています。自分の力で加速していく泳ぎ方と、初期速度を保つ泳ぎ方の違いを見つけることが目的です。泳ぎ出しのスピードを維持するのが得意な選手の動作の特徴が分かり、その動きのメカニズムを解明できれば、速く泳ぐための新しい泳ぎ方や、そのためのトレーニング方法の開発に繋がる可能性があります。

現場に役立つ研究課題に取り組み
研究者と選手・コーチのギャップを埋める

競泳の大会のテレビ中継で、泳いでいる選手のスピードがリアルタイムで表示されているのを見たことはないでしょうか。ほかの競技に比べて、競泳では大会時に、選手の速度やピッチといった情報が広く公表されています。そのため、試合中のデータを選手にフィードバックし、競技力向上に活かすというサイクルは、競泳おいてはかなり浸透していると言えるでしょう。
結果の活用が進んでいる一方で、これまで説明したように、水泳の泳法動作のメカニズムには、まだ解明されていないことが多くあります。そのため、現場で行われる指導のほとんどが、経験則か、基礎的な流体力学の知識を応用した推測に基づいたものです。速い選手は体のどこに力を入れていて、遅い選手とどのような差があるのかといったことも、科学的には解明されていませんから、いろいろな指導法が混在しています。たとえデメリットがあると感じる指導法であっても、多くの場合、その証明は難しいのが現状です。また、選手やコーチが求めていることと、研究者が着目しているポイントがずれていることもあり、そのギャップを埋める必要があると感じています。

 
私は長い間、研究者と指導者の両方の視点から、泳ぎのメカニズムと向き合ってきました。その経験から、現場にフィードバックしやすい知見が得られる研究課題を取り上げ、研究室の学生にも、現場で取り組みやすい研究テーマを提案しています。
最近は、選手の声を理解するために、実際に自分で泳いでみる機会も増えました。研究の軸足を現場に置き、自分で泳いで感じたことから仮説を立てたり、疑問に思ったことを自分の動きで確かめたりしながら、選手やコーチの目線で検討する姿勢を大切にしたいと考えています。

選手やコーチの目線で、現場に軸足を置いた研究を進めている

「チャレンジする楽しさ」が広がる
スポーツ科学の学び

スポーツを科学的に捉えて自ら実践することには、スポーツへのモチベーションを高め、楽しみ方を広げる力があると考えています。
今、日本の競泳のトップレベルには、どのようにすればもっと速く泳げるかを自ら科学的に考える選手が増えていると感じています。「こうしてみたい」という意思を持っているからでしょうか、私が選手だった時代より、厳しい練習にも楽しそうに取り組んでいますし、そのような選手が増えたからこそ、日本の競泳は強くなったのかもしれません。
スポーツは、うまくいかなかったことに対してあれこれ工夫し、克服する過程が楽しい、というのが私の持論です。結果が出なかった時こそ、それにチャレンジするのがスポーツの醍醐味。スポーツ科学を学んで得た知識を使えば、チャレンジの仕方の幅が広がり、そのスポーツの楽しみ方もさらに広がると思っています。
学生たちには、スポーツ科学の知見を活かして主体的にスポーツに取り組み、スポーツで人生を豊かに輝かせてほしいですね。

Profile

武田 剛 TAKEDA TSUYOSHI
順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科 准教授

1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2008年、筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。博士(体育科学)。早稲田大学スポーツ科学学術院助教、順天堂大学スポーツ健康科学部助教を経て、2019年から現職。日本スポーツ協会・日本水泳連盟公認上級コーチ。
スポーツバイオメカニクス、トレーニング科学、水泳競技方法論を研究フィールドとし、特に競泳のスタート時の動作解析に関する研究に注力。2013年ユニバーシアード大会代表コーチを務めるなど指導歴も長く、現在は順天堂大学水泳部監督。

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