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2018.12.14

"治療と就労を両立できる社会のために" 順天堂発・日本初のオリジナルの就労支援ツールを開発。

治療技術の進歩により、多くの病気が「不治の病」から「長くつきあう病気」へと変貌しつつあります。例えば、がんなどは、治療と就労を両立させることが難しく、働くがん患者の約3割が退職を余儀なくされています。そこで患者の社会復帰を支援する研究に打ち込んでいるのが、日本の治療と就労の両立支援の第一人者である、順天堂大学医学部公衆衛生学講座の遠藤源樹准教授です。産業医としての豊富な経験とエビデンスに基づく医学的知見から、治療と就労の両立を支えるツールの開発を推進。実社会で活用される日も遠くありません。

がん就労者が増加した社会的背景

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国民生活基礎調査によると、働きながらがん治療を続ける人は約32.5万人(2010年度)。皆さんの身近にも、仕事をしながら通院する人がいらっしゃるのではないでしょうか。実はがん就労者が増加した背景には、次の4つの理由があります。

①多くの企業で定年年齢が65歳に引き上げられたこと。がんり患率は50代から急速に高まるため、必然的に働く人のがんが増加した。

②結婚後も働く女性が増え、就労時にがんと診断される人が増加している。

③乳がんの生涯発症率の増加と、子宮頸がんの若年化などにより、現役世代の女性のり患者が多い。

④医療技術が進歩し、入院期間の短縮など、復職できるがん患者が増えている。

男性は3人に2人、女性は2人に1人が、生涯でがんになる時代。

まさに今は、『がんとともに生きていく時代』と言えます。

仕事はその人の人生そのものであり、生活の糧でもあります。現役世代のがん患者が確実に増加している今、診療する医療機関も、雇用する企業も、仕事と治療を両立するための配慮と工夫が必要です。社会的にも両立のための仕組みが求められているのです。

医療機関での「疾病性の言葉」と職場での「事例性の言葉」の違いとは

私たち医師ががん患者さんの就労支援をおこなうとき、その患者さんが現在どのような症状で、働く上でどのような配慮が必要なのかを意見書にまとめ、職場へ提出します。このとき、医師が書く病名や症状や治療に関する事象を「疾病性」といいます。

一方、がん患者を雇用する事業者は、患者さんが復職した際、業務を遂行する上で支障となりそうな客観的な事実を知りたがります。こうした事象を「事例性」といいます。

つまり、医療機関では「疾病性の言葉」でコミュニケーションされ、職場では「事例性の言葉」でコミュニケーションされているのです。この「疾病性」と「事例性」の「言葉の違い」が治療と就労の両立支援の最大の壁となっています。実際にどのような支障が生じているのか、わかりやすく例を挙げてご説明しましょう。

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「疾病性」の言葉を「事例性」の言葉に翻訳する『英和辞典』

例えば、主治医が診断書に次のように記したとします。

「病名:大腸がん。下痢、倦怠感を認めるが、一定の配慮のもと就労可能である」

この「下痢」や「倦怠感」という『疾病性の言葉』をそのまま職場で話されても、勤務先の総務人事労務担当者や直属の上司は、さっぱり分かりません。「会社で何をしたらよいのか、よく分からない」、「どんな仕事をさせればよいのか、よく分からない」など、具体的にどう対応するべきか分かりません。

『疾病性の言葉』の「下痢・倦怠感があります」ではなく、『事例性の言葉』の「一日510回、トイレの為に離席する可能性があります。座り仕事、事務作業等であれば、就労可能。復職後しばらくは、立ち仕事は難しい。通勤ラッシュや長時間の車運転は難しい。誰かのサブであれば営業可能であるが、一人では難しい。すぐにトイレに行ける場所での勤務や営業が望ましい」と、『疾病性の言葉』を『事例性の言葉』に翻訳すれば、勤務先の総務人事労務担当者や直属の上司は理解でき、職場で何が受け入れられ、何が受け入れないかを整理することができます。

この『疾病性の言葉(例えば英語)から事例性の言葉(例えば日本語)』への翻訳ソフトが「がん健カード作成支援ソフト(例えば『英和辞典』)」になります。

世界初の試み「がん健カード作成支援ソフト」とは

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「がん健カード作成支援ソフト」では、医師やがん相談支援センターの相談員がソフトウェアの指示に従って選択・クリックしていくだけで、「疾病性の言葉」を「事例性の言葉」に置き換えることができます。

病名からスタートし、「息切れがある」「しびれがある」など細かな症状を選択し続けると、「フルタイム勤務でなければならない」「2時間以上の外出・出張を避ける」「重いものを持つ作業は避ける」など、職場での事例へと、数分で、標準的なアドバイス文がアウトプットされるのです。

私たちはこのソフトを全国のがん拠点病院にて活用して頂きたいと考えています。折しも、20184月からがん患者就労支援に診療報酬が伴うようになり、病院も積極的に取り組みやすくなりましたが、具体的に意見書をどのように書けばよいのか悩んでおられる医療機関が多く、既に、我々の所にも多くの相談が届いています。

現在、全国の複数のがん相談支援センターで「がん健カード作成支援ソフト」のモデル事業を展開中で大変好評を頂いておりますが、さらなるブラッシュアップを図る予定です。このソフト開発は私が班長を務める厚労科研『がん患者の就労継続及び職場復帰に資する研究』事業で、『がん健カード作成支援ソフト(がん共通版)』を開発していますが、国内はもちろん、世界でも初の試み。現在、特許申請中で、海外への活用促進を考えています。もちろん、現在、脳卒中版、心疾患版、難病版、不妊治療版など、他の治療と就労の両立支援分野のソフトウェアも開発しています。

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「がん健カード作成支援ソフト」画面一例

治療しながら仕事を続けられる環境づくりのための『選択制がん罹患社員用就業規則標準フォーマット』!

私は100社以上の企業の産業医を務め、がん患者さんの復職支援に関わってきました。日本初のがん患者復職コホート研究(順天堂大学遠藤源樹ら)は大企業の正社員を対象としたものですが、がん患者さんの病休開始日から1年後までのフルタイム勤務の累積復職率は62.3%であり、病休の平均日数はおよそ6か月半となっています。また、がん患者さんが復職日から何パーセント働き続けたかを示す「勤務継続率」は51.1%と、復職後も約半数が5年以上勤務していました。しかしながら、中小企業や非正規の社員の場合はこのように、復職や就労継続することは難しいでしょう。なぜなら、勤務制度面でも、中小企業の一般的な身分保障期間は3か月~6か月の会社が少なくなく、短時間勤務制度がない企業が大多数を占めるからです。頑張って復職しても、就業規則で定められたフルタイム勤務ができずに、体力の無さなどを理由に仕事を辞めざるを得ない患者さんが数多くおられます。

では、どうすればがん患者さんが仕事を続けられるのか。そこで私が考え続けた末に思いついたのが、「企業は就業規則に基づいて回っている。それならば、がん患者さんに合わせた、期間限定の就業規則を作ればいい」というアイデアでした。

エビデンスに基づいた、日本初の「選択制がん罹患社員用就業規則標準フォーマット」

「がん患者就労支援ネットワーク」の社労士の先生方とともに考案したのが、「選択制がん罹患社員用就業規則標準フォーマット」です。通常の就業規則に加えて、企業ごとの実態に合わせて、がん患者さんが希望し、事業者が承認した限りにおいて、期間限定で運用を開始する就業規則です。

モデル就業規則の内容は、がん種別により「〇か月の休職が必要」「時短勤務やテレワークを選択可能」「通院休暇や時間休暇を認める」など、疾患のエビデンスに基づいていることが最大の特徴です。このような、エビデンスに基づいた就業規則は、順天堂オリジナルになります。法的な面は弁護士の小島健一先生に御監修して頂きました。今後、企業向けの「選択制就業規則標準フォーマット」を用いたモデル事業を開始予定です。患者さん側と事業者側の両面から考えて、どこに最大公約数があるのか見極めながら、治療と就労の両立支援における「着地点」を探しています。「がん健カード作成支援ソフト・モデル事業」「選択制がん罹患社員用就業規則標準フォーマット・モデル事業」に関して、現在、多くの医療機関、企業からお問合せを頂いておりますが、20192月以降に開設予定の『順天堂発・がん治療と就労の両立支援ガイド』のホームページに、この二つのモデル事業の問い合わせ窓口を開設予定です。

不妊治療、脳卒中、心疾患等の治療と就労の両立がしやすい社会のために

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さらに、私は、『不妊治療と就労・生活の両立に関する研究班(J-FEMAスタディ)』、『妊娠・育児と就労・生活の両立に関する研究班(MOMスタディ)』、『脳卒中と就労』、『心疾患と就労』など、治療等と就労の両立支援に関する研究を進めています。治療と就労の両立支援に関する課題は、先進国共通の課題であり、順天堂大学の私を含む研究者と臨床の先生方とともに、オランダ・フローニンゲン大学、アムステルダム大学、米国・タフツ大学など、就労支援に関する、日蘭米就労支援国際共同研究を実施しています。

誰でも、リカバリーショットを打てる社会を創りたい

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私は中学生・高校生の頃、「困っている人を助けたい」という志とともに、受験勉強の末、医学部に合格後、医師になりました。しかしながら、医師として臨床現場で働くようになったものの、臨床医の義父からも「お前は臨床医に向いていない」とはっきりと言われるなど、医師としてのキャリアから外れた時期が10年以上ありました。「自分は何のために医師になったのだろう」ともがく中で、産業医として就労支援に深く関わるようになり、がん患者さんが職場に復帰する姿に自分自身を投影するようになり、自分は就労支援しかないという気持ちで、医学と社会を繋ぐ「社会医学(公衆衛生学)」の道を進むことになりました。 

人生をゴルフに例えれば、誰もがフェアウェイをキープできるわけではありません。真っ直ぐ打とうとしたボールが、バンカーや池や林の中に入ってしまうこともあります。バンカーや林の中から抜け出すショットを『リカバリーショット』とゴルフでは言います。人は、煙草を吸っていなくても、暴飲暴食をしていなくても、がんになり、「はたらく」第一線から外れることがあります。「リカバリーショット≒復職」であり、「フェアウェイ≒職場」に戻れるようにするための医師でありたい。2008年に「リカバリショット(復職)の専門家になって、困っている人を助けたい」という強い想いを持ち続けて、就労支援の研究とそのツールの開発を行ってきました。

治療と就労の両立支援が2010年頃から社会的に注目されるようになりましたが、治療と就労の両立に関する実態は殆ど何も変わっていません。依然として、日本は、一度、「道」を外れると、リカバリーしづらい社会です。だからこそ、『誰でも、リカバリーショットが打てる社会となるため』に、社会の声を聴きながら、就労支援の研究とそのツール開発に日々、尽力していきたいと思います。

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遠藤 源樹
順天堂大学医学部公衆衛生学講座 准教授

福井県大野市出身。医師、医学博士、日本産業衛生学会専門医、産業医学ディプロマ、第一種作業環境測定士、公衆衛生専門家、社会医学系専門医・指導医等。
2003年 産業医科大学医学部卒業。
JR東京総合病院、こころとからだの元氣プラザ、専属産業医等を経て、2014年東京女子医科大学衛生学公衆衛生学第2講座助教。
2017年より現職。
日本医療機能評価機構診療ガイドライン作成支援部会委員・活用促進部会委員、国立国際医療研究センター客員研究員、労政時報カレッジ講師等、兼任。現在、厚労科研遠藤班「がん患者の就労継続及び職場復帰に資する研究」「心血管疾患患者の就労継続及び職場復帰に資する研究」「不妊治療と就労・生活の両立に関する研究」「病院勤務医の勤務実態に関する研究」等、7つの働き方改革関連の研究班(代表・分担)の研究事業等を実施。
著書に「がん治療と就労の両立支援 実務ガイド(株式会社日本法令)」「企業の健康対策の実務(労務行政研究所)」など多数。

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