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2022.04.01

女性アスリート向けの教材が中学・高校のデジタル教科書に。"運動していない中高生にも大切"な月経と栄養の知識とは?

03.すべての人に健康と福祉を

順天堂大学女性スポーツ研究センターが制作した学習サポートツール「女性アスリートのためのe-learning」が、中学校の保健体育に続き2022年度から高校保健体育のデジタル教科書にも採用されました。過度なトレーニングや減量による女性アスリートの健康問題は、近年、社会的にも関心が高まっています。一方で、アスリートに多い"無月経"は、実はやせ願望の強い女性にも起こり得る問題です。教材の開発に携わった同センターの桜間裕子特任助手は、アスリートや指導者はもちろん、運動をしていない生徒にも自分の身体について正しい知識を持ってほしいと、デジタル教科書を通じた知識の普及に期待を寄せています。

“間違いだらけ”だった女性アスリートの知識

女性アスリートのためのe-learning」は、女性アスリートに自分の身体のことをしっかり学んでもらえるよう、順天堂大学女性スポーツ研究センターが開発したeラーニング教材です。2016年3月に完成し、5年が経った21年3月に内容の改訂を行いました。
このeラーニング教材を開発した背景には、「女性アスリートや指導者が、女性の身体のことをよく理解しないままトレーニングをしている状況をなんとかしたい」という、研究者たちの強い思いがありました。

女性アスリートのためのe-learning.png

部活動を頑張るアスリート「キラリちゃん」と、女性アスリートの身体と健康に詳しい「ヒカルコーチ」のやり取りを通して学ぶことができる「女性アスリートのための e-learning」

「教材開発が始まる3年前の2011年から、順天堂大学は文部科学省(当時)の委託を受け、女性アスリートの強化支援方策に関する調査研究を行っていました。私もそのプロジェクトのメンバーとして現場に足を運び、多くの女性アスリートや指導者にコンディショニングについて話をうかがいましたが、そこでわかったのは、アスリートと指導者がこちらの予想以上に女性の身体のことを理解していないという事実でした」と桜間特任助手は、当時のことを振り返ります。複数回の五輪出場経験を持つ女性アスリートは、大会に合わせて月経を調整できることを知らず、長年月経が大会にぶつからないように祈っていました。また別のアスリートは、婦人科系の病気による腹痛を我慢し続け、手術が必要になるほど悪化させてしてしまったといいます。「世界で戦うレベルのアスリートでさえそんな状態でしたから、中学・高校の部活動レベルでの知識不足は、さらに深刻でした」(桜間特任助手)。調査を通じて正しい知識を持たないことがいかに怖いか、いかにパフォーマンスを低下させる要因になるのかを痛感し、そんな選手たちを救いたいという研究者たちの思いが「女性アスリートのためのe-learning」制作の出発点となりました。

桜間裕子特任助手

アスリートだけの問題ではない「無月経」

「女性アスリートのためのe-learning」は、2021年度にデジタル教科書「最新 中学校保健体育」(大修館書店)に初めて掲載され、22年度からはデジタル教科書「現代高等保健体育」「新高等保健体育」(いずれも大修館書店)にも採用されています。
なぜ“女性アスリートのため”に作られた教材が、アスリートではない生徒も学ぶ教科書に採用されたのか。その理由として挙げられるのが、女性アスリートの健康に対する社会的関心の高まりです。現在、日本スポーツ協会(JSPO)などスポーツの中央組織には女性に関する課題を取り扱う委員会等が設置され、また、スポーツ指導者講習会でも「女性スポーツ」が科目として設けられるようになりました。選手時代の無月経や病気について発信する元アスリートも増え、スポーツ界にとどまらず、社会全体で女性選手の健康問題が共有されつつあります。「私たち女性スポーツ研究センターは、10年前から女性アスリートの健康について提唱してきました。教材を作り始めた当初に比べると、選手や指導者、さらに社会でも理解が進んできているのを感じます」(桜間特任助手)。
しかし、教材が教科書に採用された要因は「ほかにもある」と桜間特任助手は考えています。「実は、女性アスリートに多い健康問題として知られる無月経と骨粗しょう症は、一般の女子中高生にも無縁ではありません。教材を通じて、その危険性をすべての生徒にも知ってもらうことには大きな意義があると思います」

無月経(視床下部性無月経)は、これまでに多くの女性アスリートが直面してきた問題です。視床下部性無月経は、無理なトレーニングや減量に起因する“エネルギー不足”により起こります。女性ホルモンのエストロゲンには、カルシウムを骨に吸着させる働きがありますが、視床下部性無月経になるとエストロゲンの分泌が低下、骨密度も低下(骨粗しょう症)し、疲労骨折を起こしやすくなるのです。この「利用できるエネルギーの不足」「視床下部性無月経」「骨粗しょう症」は、競技生活に大きな影響を及ぼす「女性アスリートの三主徴=Female Athlete Triad(FAT)」と呼ばれています。
ところが今の日本では、FATがアスリート特有の問題ではなくなっています。無理なダイエットで摂取エネルギーが極端に抑えられると、運動をしていない女性にも同じことが起こり得るからです。

すべての中高生に正しい知識を

日本の若い女性のやせ願望はとても強く、日本は女性のBMI(体格指数)の平均値が下がり続けている先進国でも数少ない国です。メディアにはダイエット情報があふれ、若い女性の多くは、摂取エネルギーを抑え、体重や体脂肪率を落とすことを「良いこと」と捉えています。しかし一方で、極端に体重や体脂肪を減らすことの危険性は、十分認知されているとは言えません。

「私たちの研究では、体重や体脂肪率を落とすことより、除脂肪体重(LBM=体脂肪を除いた筋肉・骨・内臓や血液など水分の総重量)を増やすことが初経やその後の正常な月経周期、そして骨密度の獲得に関与することがわかってきました。しかし、多くの女性アスリートは体重や体脂肪率を"減らす"ことばかりに目を向けているのが現状で、除脂肪体重(LBM)を"増やす"ことの重要性を理解している人がどれほどいるでしょうか。10代は骨や筋肉、身体の様々な器官の成長期に当たり、この時期に過度なダイエットをすると体に何が起きるのか、もっと広く伝えていく必要があります。私たちが開発したeラーニング教材がデジタル教科書に採用され、アスリート以外の中高生にも正しい知識を学んでもらう機会ができたのは、本当に有意義なことだと感じています」
また、ある県では保健体育の全教員に「女性アスリートのためのe-learning」を視聴してもらい理解度を調べた結果、20代の男性教員の理解度が最も低かったという報告もあるといいます。「キャリアの浅い教員をはじめ、多くの教員がこの教科書を使うことであらためて正しい知識を身につけ、授業や部活動の指導に役立ててくれることを期待しています」(桜間特任助手)

動画とクイズでわかりやすさを重視

女性アスリートのためのe-learning」は6章に分かれ、各章が5~10分の動画と10問のクイズで構成されています。動画には、部活動を頑張る“キラリちゃん”と女性指導者の“ヒカルコーチ”が登場し、二人のやり取りを通して月経やコンディショニング、スポーツ栄養に関する知識を学ぶことができます。

動画イメージ

「正確さと分かりやすさのバランスには、かなり悩みました」と、桜間特任助手は制作中の苦労を振り返ります。「少し難しくても覚えてほしい専門用語や身体の仕組みは、イラストや図解を使って視覚的に理解してもらえるようにしました。スタッフの小学生の娘さんに開発中の動画を見せて、意見を聞いてみたこともありましたね」
また、情報の正確性を担保するため、監修者・編者の氏名、制作・改訂の日付を明記しているのも、研究機関が開発した教材ならではの特色です。「やさしい表現で正しく伝える難しさを感じながらの制作でしたが、監修者・編者の先生方とやり取りを重ね、妥協せずに完成させることができました」

競技力向上と健康は両立できる!

今後は、特に「中学高校の部活動レベル」の選手や指導者への知識の普及が大きな課題だと桜間特任助手は考えています。
「競技力や記録・成績を優先するあまり、健康を二の次にしてしまう選手や指導者は、残念ながら珍しくありません。しかし、当センターでこれまで発信し続けてきたように、競技力向上の追求と健康は両立することができると考えています。それをみんなが当然だと思う社会にするため、これからも研究を続け、成果を発信していかなければならないと思っています。そして、eラーニング教材などを活用して、アスリートだけでなくすべての女性が健康に関する正しい知識を持ち、自分の身体を自分で守れるようになることを願っています」

Profile

桜間 裕子 SAKURAMA Yuko
順天堂大学女性スポーツ研究センター 特任助手

筑波大学体育専門学群卒業(1995年)。順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科博士前期課程修了(2019年)。水泳選手として活躍し、大学時代に日本学生選手権女子100m自由形で優勝、リレー種目で日本記録を更新した。大学卒業後は福島県立湯本高校教諭となり、教員退職後には青年海外協力隊員として中国で水泳チームを指導した経験も。日本パラリンピック委員会(JPC)勤務を経て、2011年より本学勤務。2014年の女性スポーツ研究センター設立時から事務局運営に携わり、2018年より現職。JPC女性スポーツ委員会副委員長。日本競輪学校教育再検討研究プロジェクト会議メンバー、北京2022パラリンピック冬季競技大会日本代表選手団副団長を務めた。

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