SOCIAL

2022.10.17

建築に医学を。 感染症に強い建築基準「Pandemic Ready」で目指す、レジリエンスの高い社会

03.すべての人に健康と福祉を

2019年12月に新型コロナウイルス感染症の発症が初めて確認されてから3年。現在も、世界中の国々で流行状態が続いています。 「人と人との距離を空ける」「窓を開け室内の空気を循環させる」「飛沫をブロックする」といった感染症対策の方法は、日本中の人々に浸透しました。そんなパンデミックに「建物を感染症に強くする」という独自の新しい視点で立ち向かおうとしているのが、感染制御科学の第一人者である堀賢教授です。感染症に対するレジリエンス(強靭性)を重視した未来社会のあるべき姿について、堀先生にお話を伺いました。

パンデミックが起きてからでなく、起きる前に対策するという思考の転換

パンデミックは新型コロナウイルス感染症にはじまった話ではなく、古くは天然痘やペスト、スペイン風邪、近年でもSARS(重症急性呼吸器症候群)や新型インフルエンザA(H1N1)pdm09など、常に我々の身近に存在し、人類を脅かしてきました。現代社会ではコロナ禍と呼ばれる状況下で感染を少しでも食い止めるべく、飲食店でのアクリル板設置、空間内の人数制限のように個々人でできる対策を越え、社会の仕組みとしての対策が必要とされています。堀先生は、この仕組みをさらに進め、あらかじめ感染症拡大を抑制できるような設備の確保・人の導線設計を行った建物づくりを提唱しています。
「私は感染制御の専門医の資格を得るため1999年から2001年までイギリスへ留学しており、その時に初めて、建築設備などエンジニアリング側からアプローチし、病原菌による感染を制御する病院衛生工学という分野があることを知りました。当時は目から鱗の体験で、この考え方は日本でも必ず必要になると考え、帰国後も独学で研究を続けました。それから2003年にSARS、2009年に新型インフルエンザA(H1N1)とパンデミックが到来するたびに、事後対応で設備を後付けにするのではなく、事前に院内感染が起きにくい建物としておけば、感染爆発にも慌てず対処できるはずだという思いが強くなり、その思いを形にしたのが2015年に竣工した順天堂医院B棟です」

設計段階から感染対策を施した病棟「順天堂医院B棟」

堀先生が建築に携わった順天堂医院B棟は、細部にまで院内感染を防ぐ工学面での工夫が張り巡らされています。例えば、大部屋の病室に従来のエアコンではなく冷水・温水を用いた輻射熱による冷暖房を導入。加えて隣り合うベッドとの間には天井までカバーする間仕切りとして家具を設置することで、室内の空気攪拌(かくはん)が行われず、他の患者さんからの空気感染が起こりづらい設計にしています。また、水廻りには大手住設メーカーと共同開発した水ハネしづらい手洗い器を導入し、病原菌やカビの繁殖を防いでいます。まさに「パンデミックに徹底して備える建物」であるB棟は、2018年6月、優れた空調工学を評価する第56回空気調和・衛生工学会賞「技術賞」(建築設備部門)を受賞しました。
「病院衛生工学の研究を始めたばかりの頃はその重要性について周囲からなかなか理解されませんでしたが、コロナ禍で医療関係者の意識改革が一気に進み、感染症に強い病院の設計が急務となりました。順天堂医院では多くの新型コロナウイルス感染症患者を受け入れており、実際に院内での感染制御に成功しています。現場の医療従事者の方々からも、安心して働ける環境だと言っていただいています。」
そして今は、B棟の建設で培った感染症予防の知見を病院以外のオフィスにも応用する動きが進んでいます。

建設会社との医工連携により、感染症対策の新指標「Pandemic Ready」を策定

2021年2月、順天堂大学と清水建設株式会社間で日常生活や業務の場面に感染対策が予め織り込まれた堀先生考案の建築の新基準「Pandemic Ready」の実現をテーマとする共同研究契約が締結されました。同年3月に竣工した清水建設株式会社のオフィスビル「清水建設東北支店新社屋(仙台市青葉区)」の建設には堀先生が携わり、Pandemic Readyの考え方を基にした、従業員の感染症に関する安全性を高めた構造が一部採用されています。空気を攪拌(かくはん)させない空調や、人の密度を抑えるコミュニケーションスペース、パーテーション・観葉植物による飛沫拡散防止などの手法を取り入れた、見た目も美しいワークスペースとなっています。
Pandemic Readyは集団感染やクラスターの発生リスクを最少化するため、施設の設計・設備の選択・運用の管理における感染リスクを評価する新基準で、「パンデミックに備えがある」という意味から名付けられました。清水建設株式会社の持つ建築設計の知見と医学的な知見の融合によって作成された約150項目ものチェックリストからなり、4つの感染経路(空気・エアロゾル・飛沫・接触)ごとに建物の脆弱性が測定できます。脆弱性のある部分について重点的に適切な換気方法や気流制御、家具レイアウトなどへの変更を行うことで、より効果的かつ効率的な対策ができるというシステムです。現在、このPandemic Readyを初めて適用したオフィスビル「第一生命日比谷ファースト(旧DNタワー21)」の大規模リノベーション工事が、2023年の完成に向け清水建設株式会社によって実施されています。
「清水建設株式会社様とはB棟建設以降さまざまな共同研究を行ってきました。Pandemic Ready策定については、国際的な感染症が発生する頻度が高くなってきていることを受け、これまで共に蓄積してきた研究成果を形にし、世の中に還元したいという想いに共感いただいたのが始まりです。今の日本では、空間を健康の視点で評価する指標として欧米の規格を取り入れていますが、いずれはPandemic Readyを日本から世界に羽ばたかせていきたいと考えています」(堀先生)

スマートビルディングを病院に取り入れ、持続可能な医療の提供へ

異分野の学問同士の融合は、別の角度からも病院の在り方を見直すヒントをもたらしました。鹿島建設株式会社と進めるプロジェクトでは、IoTの活用で効率的・効果的な管理を可能にする「スマートビルディング」の考えを病院にも導入し、省エネルギーを計る試みが行われています。
昨今の建築業界では環境問題への意識の高まりから「Net Zero Energy Building(ZEB)」、すなわち、快適な室内環境を実現しながらも消費するエネルギーの収支をゼロにすることを目指した建物が標準となりつつありますが、こと病院においては省エネルギーの観点が二の次となりがちでした。病院では日々、CTやMRIなどの検査機器使用や手術のために膨大な電力が使われ、治療のためには大量の水資源が消費されています。資源の供給が安定していればそれでも問題は無いのですが、電気や水道インフラがダメージを受ける災害時には医療行為が継続できない致命的な状況に陥ってしまいます。病院の省エネルギーは災害時の自家発電での対応期間の延長、対応範囲の拡大に直結するのです。実例として、順天堂医院B棟は世界に類を見ないほど省エネルギーを可能にした建物で、災害時にも平常時に近い診療機能を7日間も維持できる設計となっています。標準的な病院が冷暖房や医療行為を切りつめても3日間しかもたないことと比較すると、その画期性は一目瞭然です。このように、スマートビルディングを考慮した持続可能な病院設計の今後は非常に期待されています。

Pandemic Readyで創造する、レジリエンスの高い社会の姿

堀先生は将来の構想についてこう語りました。
「私は普段、個人でメディアやスポーツの現場における感染対策の監修を担当することも多いのですが、Pandemic Ready Conceptを具現化し、より広く社会実装するためにパンデミックレディ・コンソーシアムを立ち上げました。理念に賛同いただいた9社とスタートし、現在は10社となり、2022年10月に法人化(一般社団法人 パンデミックレディ・コンソーシアム)の運びとなりました。日本のこれからの感染症対策の基準をPandemic Readyとすることで、エビデンスに則って予算を効率的に使用でき、なおかつ未来に起こり得る未知の感染症に対しても永続的な効果が期待できるでしょう」
Pandemic Readyを病院、オフィスの他にも学校、映画館、アリーナ、ホテル、カフェ、個人商店とそれぞれの施設に合わせた調整をしながら展開し、街全体を感染症に強くすることも夢ではなくなってきています。
「医療界でアカデミックな知見・技術を蓄えた順天堂大学が中心となり、産学連携で健康の領域から世の中の発展と社会機能の維持に貢献できれば、我々の研究する健康医学の意義は非常に大きくなると思います。世界に誇れるレジリエンスの高い社会の構築を現実にするまで、歩みを止めるつもりはありません」

<関連記事>

■先進の病院衛生工学で患者さんを守り、社会に貢献する順天堂医院B棟

https://goodhealth.juntendo.ac.jp/pickup/000004.html

■順天堂大学×清水建設【Pandemic Ready共同研究講座】アフター/ウイズ・コロナ時代の新たな住まいを提案

https://www.juntendo.ac.jp/news/20220613-02.html

■Pandemic Ready共同研究講座

https://pandemicready.jp/

■一般社団法人 パンデミックレディ・コンソーシアム(2022年10月法人化)

https://consortium.pandemicready.jp/

Profile

堀 賢 HORI Satoshi
順天堂大学大学院医学研究科感染制御科学 教授
Pandemic Ready共同研究講座 担当教授

1991年順天堂大学医学部医学科卒業。1995年順天堂大学医学部大学院医学研究科(病理系・細菌学)修了。医学博士。順天堂大学医学部内科学(呼吸器内科講座)助手、順天堂大学大学院感染制御科学(COE)講師、順天堂大学医学部大学院医学研究科先任准教授などを経て2013年より現職。日本環境感染学会理事も務める。研究分野は感染制御学、呼吸器病学・感染症。

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